2000年のレキシントン・オープンのシングルスの決勝戦は9月9日予定より一週間遅れて行われた。9月1日(金)雨が降った影響でスケジュールが大幅に遅れてその週末にすべてを終わらせることができなかったせいだ。準決勝で去年のチャンピオンを破ったイジケビッチと去年惜しくも準優勝になったデービッド・モースというロースクールの学生の間での決勝戦となった。モースはセント・フランシスというペンシルバニアにある大学のテニス部でナンバー2のシングルスプレーヤーでダブルスのナンバー1だったそうだ。6フィート2インチとイジケビッチより10センチ以上身長が高く、ものすごいサーブをする選手だ。5月に一度対戦したことがあり、その時は3セットのフルセットの末最後の最後にイジケビッチがボールを拾いまくってねばり勝ちした。モースはサーブはすごいがバックハンドのショットがいまいちなので、イジケビッチの戦術は、できるだけ良いサービス・リターンを返して、モースをベースラインに釘付けにすることだった。
9日は、それまでの月曜からの秋の素晴らしい天気とは全く違って東京の7月の30度ぐらいで蒸し暑い夏の陽気が戻ってしまった。10分ぐらいウォームアップとして打ち合っただけでシャツがすぐに汗でビショビショになってしまう陽気だった。2年前に優勝したイジケビッチは、3日(日曜)の準決勝で去年のチャンピオンを破った段階で、今年は優勝できる可能性があると思って、決勝戦では自分のテニスをすれば何とかなるだろうと考えていた。とにかく自分のサービスゲームをキープして相手のサーブに効果的なリターンを返すことを頭に入れて試合に望んだ。イジケビッチの家族が応援に来ていたかというと、家内はたまたま日本語と中国語の助手をバージニア大学がある町にあるアジアの食料品がある店に連れて行くことになっていたのと、娘のマヤが目覚ましをセットしたのに昼寝して目が覚めなかったため、だれも応援に来れないという最悪の事態になった。しかし、準決勝で破った去年のチャンピオンがガールフレンドと一緒に来ていたし、同僚のジャネット・池田が旦那と一緒に試合を見て来てくれたいた。観客が4人いるのだから変な負け方は出来ないななどと考えながら試合に臨んだ。
よく試合の第1ゲームでその試合の流れが決まると言われるが、その点から考えるとイジケビッチは最高のスタートを切った。サーブ・アンド・ボレーでゲームを支配しようとする相手に対して深いリターンで対応しようとしたイジケビッチは30ー30で相手がサーブ・アンド・ボレーで出て来たのに対してバックハンドのパッシングでポイントを取り、サービスゲームをブレイクした。これは最高のスタートだと思い、一気に相手を粉砕すべくサーブをしたが、いつもの悪い癖が出てすぐブレイクされてしまった。あそこでキープしていれば多分1時間以内に試合は終わっていたと今になって思う。第1ゲームで相手のサービスゲームをブレークしたところまでは良かったが、すぐ自分のサービスゲームをブレークされて元に戻りその後は一進一退で4ー4まで行った。ここで相手のサービスをブレークしないと厄介なことになると思って全力を尽くしたが、相手は何せすごいキックサーブの持ち主でたちまち40ー0になってしまった。そこでイジケビッチが考えたのは、後ろでサーブを受けるから地面に着いたサーブが跳ね上がるのだからもう少し前に立ってボールが跳ね上がる前に打って相手が準備が出来ないうちにボレーをするような状況を作った方がいい、ということだった。考えたことを実行してボールが跳ね上がる前に打つと確かに相手がボレーをする前にボールが相手に行ってミスが出ることがわかった。イジケビッチのしつこく諦めないでボールを返すテニスに嫌気がさしたのかモースがミスを連発して第9ゲームをイジケビッチが0ー40から逆転して取って、第10ゲーム自分のサービスゲームをキープして第一セットを先取した。五十路パワーも捨てたものではないな、後もう一セット取れば真のチャンピオンにまたなれるのだなと思った。第一セットを終わった時点で丁度1時間、ものすごい汗をかいて2リットル入りの水も2/3以上なくなってしまった。五十路のイジケビッチは一つのセットをものにしたせいか疲れはあったがまだまだという雰囲気で第二セットを迎えた。
相手のモースは4ー4で自分のサービスゲームで40ー0という絶対に有利な立場から逆転されて第一セットを失ったというショックが大きかったのだろう。第2セット初めの自分のサービスゲームをキープすべく真剣になって全力でサーブアンドボレーで立ち向かって来た。イジケビッチも大きく跳ね上がるサーブが跳ね上がる直前で打って返す方法がやっと分かって来て、結構良いリターンが返せるようになった。お互いに第一ゲームがこの試合の流れを決めるということがよく分かっていたので、何とかしてものにしたいと考えて必死になった。3、4回のジュースの後、イジケビッチの素晴らしいリターンのためにモースはボレーをミスしてイジケビッチが第一ゲームを先取した。椅子に座って冷たい水を飲んだら満足感が訪れて来た。大事な第一ゲームを先取してよくやった、と自分を元気づけて残りの5ゲームを連取しようとやる気が起こって来た。その時コートの端に置いたタオルを取りに行って戻って来たモースが突然手を差し伸べて、「これ以上試合を続行できない。お前の勝ちだ。おめでとう」と言うではないか。「おい、ちょっと待てよ、まだ終わっていないぜ」と言ったら、「腹の調子が悪くて続けられない。この暑さで参ってしまった」とのことで、あっけない結末になってしまった。5月にやった時も大事なゲームを取られて勝つのを諦めたが、それと同じことが決勝戦でも起きた。結局ボールを拾いまくった五十路のイジケビッチのしつこいテニスに23才の若者が降参した、ということである。五十路もまんざらではないぞ!五十路パワー、万歳!
賞品にもらった商品券。「ダッチョスワス」というのは屋内テニスセンターの名前でこの中にあるテニス用品を売る店で使える商品券が優勝の御褒美なのだ。
10月中旬町の新聞に掲載されたトーナメントの結果
@イジケビッチ
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