2003年レキシントン・オープン

 2003年のテニスのレキシントン・オープンは8月29日から31日まで開かれた。イジケビッチは今年オープンの男子シングルスと、家内と組んで混合ダブルスに出場した。今年は、ダブルスの参加者は大幅に増加したが、シングルスの出場者は激減した。普通は2、3組しか出ない混合ダブルスは10組も参加して、イジケビッチも家内と共に2年ぶりに出場した。シングルスは3年連続優勝しているので、当然第一シードだった。
 混合ダブルスは3試合勝てば優勝だ。第一試合はレキシントンで一番速いサーブ(時速117マイル)を打つサウスポーの男性とその奥さんだった。奥さんがまだ初心者のおかげで1時間45分のの末3ー6、6ー1、6ー0で何とか勝った。第ニ試合はUSTAの0〜7の評価で4.0ぐらいの男性とレキシントンの女性で一番速いサーブを打つ女性で高校のテニス部の監督をしている女性のチームだった。イジケビッチ組は調子が良く、ミスも少なくて70分で6ー2、6ー1で完勝。
イジケビッチのシングルスは45歳ぐらいの医者が相手で、サーブアンドボレーをする男性が相手だった。初めは緊張してミスが多かったが、相手がミスするのを待つ余裕があって、6ー2、6ー1で簡単に勝った。シングルスは精神的な要素が80%ぐらいを占めると言われるが、本当にそうだ。試合が始まったばかりの時は、今年2回日本に行って満足に練習できなかったことが気掛かりで、自信がなくてミスがあったが、段々ラリーを続けていれば、絶対にこの相手には負けないという自信らしきものが戻って来た。自分が打つショットの数を数えはじめたら、5本、6本と打てるので、これなら大丈夫だろうという気持ちになった。初日(30日)は結局3試合、計4時間15分もテニスをしたことになる。
 日曜は多くの人が教会に行くので、試合は午後1時からだった。初めにシングルスの決勝、そのすぐ後混合ダブルスの決勝だった。
 シングルスは昨年決勝で3時間強の接戦を演じた相手との再戦だった。去年苦しんだ経験があったので、去年のトーナメントの後イジケビッチはボールマシンでスライスのくせ球に対処する練習をたくさんして、できるだけ深いボールを返すことを心がけた。ボールマシンを使っての練習のかいがあったのと、この日ものすごい集中力があってできるだけ短い時間に試合を決めようと決心して実行したおかげで、深いボールがベースライン付近にビシビシ決まり、相手が焦ってネットに出て来ると パッシングショットを連発、それが面白いように決まって、70分で6ー1、6ー1で快勝し、4連覇を遂げることが出来た。
ダブルスの決勝は、この地域のテニス連盟の会長でダブルスが得意な男性とその娘さんとの対戦だった。彼は、既にその前に男子ダブルスの決勝で惜敗していて、混合ダブルスに勝つべくやる気満々、娘さんもかなり上手で、息が合ったチームだ。家内はゲームが始まる前から相手のチームのことをよく知っており、彼等にはかなわないと公言していた。それは精神的にすでに負けていることを意味する。予想通り彼等は家内を集中的に攻撃して来た。家内も3回か4回打ち返していたが、長いラリーが続かずミスを繰り返して、結局3ー6、2ー6で負けてしまった。決勝まで行くとは思っていなかったので、まあ良しとするか!


News and Gazetteという町の新聞に掲載されたレキシントン・オープンの結果
怎Cジケビッチ
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