シングルス

 イジケビッチは不整脈があるのでトーナメントの前に心臓専門の医者にトーナメントに出てもいいか聞いてみた。彼の答えは「ダブルスはシングルスほど動かなくてもいいから問題はないと思う。でも、シングルスは私があなただったら脈拍が上がる可能性があるからやらないだろうね。でも、ケンは競争心がすごいから多分私がだめだと言ってもやるだろうな。自分で脈拍をチェックして、脈拍が上がって試合を続けるのが困難になったら試合をやめるのならだめとはいえないな」ということで、イジケビッチは出ることにした。1ポイントは5本ショットを打つ間に決めると決心してトーナメントにのぞんだ。
 今までは土曜に2試合、日曜に2試合だったが、今年は金曜に1試合、土曜に2試合、日曜に決勝ということになっていた。金曜の夜レキシントンの高校の現役のナンバ−2の17歳の若者が相手だった。将来性がある若者と対戦するのは大いに苦手なイジケビッチは相手を傷つけずに勝つためにどうしようかとよけいな神経を使った。試合の合間に相手の素晴らしいサーブを褒めながら試合を進めた。簡単に勝つだろうとは分かっていたが、出来るだけ相手の気持ちを傷つけずに試合を進めた末、6−1、6−2で一回戦をすませた。
 土曜の朝9時は準々決勝で相手は1977年からレキシントンの市民大会に出場している私と同年代の相手だった。ロースクールで仕事をしている人で1998年にイジケビッチが初優勝した時に決勝で破った相手だった。サーブアンドボレーを得意とするプレーヤーで長いポイントが出来ないイジケビッチには格好の相手だった。初めからサーブと共にネットに出て来てボレーを打つスタイルでやるので、足下にリターンを返したらミスの連続で、1時間15分で6−1、6−0で完勝した。

 準決勝は午後2時からで、猛暑の中での試合になった。相手はレキシントンの高校でナンバ−2だった24歳の若者で、バージニア大学で博士課程で勉強している男性だった。学部はワシントン・アンド・リー大学で陸上部の長距離のスターで、身長190センチながら動きが早い相手だった。一進一退の試合展開で4−4の後、第9ゲーム目の相手のサービスゲームを破ったイジケビッチがサービスゲームをキープして第一セットを6−4で取った。しかし、猛暑の中第一セットに約1時間を費やしたイジケビッチの脈拍数はかなり高くなり、相手がイジケビッチのボールを走りまくって返すので、第二セットは集中心がなくなって3−6で取られてしまった。
 第二セットを終わった段階で2時間が経過していて、その後は24歳の若者にかなり有利な展開になってしまった。五十路後半のイジケビッチが24歳の若者に勝つためには、第3セットの最初に積極的に攻めて精神的に諦めさせるのが最適だろう。そう考えてイジケビッチは積極的にネットに攻めて行ったが、アプローチショットが良くなかったためパッシングショットを決められて第一ゲームを落としてしまった。しかし、相手のサービスゲームをブレークして最後の抵抗をして4−1になった。しかし、相手もイジケビッチが五十路でかなり疲れていることが分かっていてドロップショットを連発、さらにすべてのボールを拾ってイジケビッチのミスを待つ作戦で第6ゲーム、第7ゲームは長い長いゲームになってしまった。多分20分ぐらいかかっただろう。脈拍が多分150以上になり、フラフラしたことが数回あったが、その度に25秒のポイントの間の休みをうまく利用したイジケビッチはサービスゲームをキープして5−2にした。
幸い4時を過ぎてそよ風が少し吹いて来てわずかに涼しくなったし、後は1ゲームだけ取れば勝つ。最後の死力を尽くして第8ゲーム目を取りに行ったが、思い通りにはいかなかった。相手ののサービスゲームを取れば勝てるのにそうはうまくいかなかった。3回ぐらいのジュースの果てに落としてしまい、5−3になってしまった。後は自分のサービスゲームをキープするしかない。ここで終わりにしないとガス決で負けてしまうと思ったイジケビッチは最後の死力を振り絞ってサービスゲームをキープ、6−3で翌日の決勝を進出を決めた。
 日曜の決勝の相手は、5、6年前のレキシントンの高校のナンバ−1で現在レッスンプロをしている24歳の男性だ。イジケビッチの準決勝の相手に負けたサーブが時速119マイルの四十路後半のサウスポーが「そろそろ俺たちの時代は終わり、彼らの時代だな。イジケビッチが準決勝で第3セットまで行ったら24歳の勝ちだよ」と予想したが、イジケビッチは五十路後半でもう少しで六十路なのにまだまだ若者には負けられないという気持ちで日曜を迎えようとしている。さて、結果はどうなるのか。

 日曜の朝イジケビッチの体はズキズキ筋肉が痛むということはなかった。しかし、どうも体が重い感じで、鉛の防弾チョッキを着ているような感じだった。2時間40分の準決勝のつけが回って来た感じで、先が思いやられる。決勝は午後2時からで、その前に昼食を食べた後30分ほど昼寝をしたが、疲れがずっしりと体全体を覆っていた。こうなったら最初からポイントを取るショットを決めないと勝ち目はないだろうと覚悟した。
しかし、相手は5、6年前の相手とは全然違っていた。当時はドロップショットを打ったりロブをあげたりして相手を動かせれば簡単に勝てたが、レッスンプロとしてテニスを専門にしているので、どんな球を打っても確実に返って来るテニスになっていた。イジケビッチもサービスエースを5、6本取ったが、大事なポイントは殆ど取られてしまい、第一セットは2−6で取られてしまった。 前日は4時頃から少しそよ風が吹いて来て暑さが少し和らいだが、今日は全く無風でコートは多分40度ぐらいの暑さだったろう。第一セットが終わった時点で、脈拍を計るモニターを胸に付けて心拍数がどのぐらいになっているか計ってみた。多分かなり高いだろうなと思ったが、予想通り150以上だった。第二セットが始まってからは、ポイントとポイントの間出来るだけ時間を稼ぐために出来るだけゆっくり歩いて脈拍数を少なくしようとしたが、常に150から160の間を行ったり来たりしていた。これではコートの上で突然死であるサドンデス(sudden death)が起こっても不思議はない。0−3となったところでこれ以上心臓に負担をかけるのは良くないので、イジケビッチは最初の予定通り試合を棄権してしまった。結局2−6、0−3での敗北ということになってしまった。最後の最後で二人の24歳の相手と試合をするのは五十路後半の男性には無理だということを自覚させられたトーナメントであった。

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