「何故天国は天国か?」
今年の春学期念願の研究休暇が取れ毎日楽しく暮らしている。常勤で教え始めて18年目にして初めての休暇である。来る日も来る日も馬車馬のように働き詰めで最近の数年は授業が終わる5月末を待たずに4月ごろからガス欠状態に陥り、かろうじて学期を終えるといった状態であった。夏休みは夏休みで毎年大学かどこかから援助金をもらって、ビデオ/レーザーディスク教材やコンピューター教材の作成などに明け暮れた。考えて見ると、今までの18年はまともにまとまった時間を自分の研究のため、エネルギー補給のために使うということは皆無と言って良かった。
たまたま春学期に入る前の週にハワイで学会があり、その時から休暇が始まったと言ってもいいかもしれない。ハワイの抜けるように青い空の下アラモアナ・ショッピング・センターの公園のパブリック・コートで1年ぶりに会う同僚とテニスに興じ、快適な汗を流した後はコートの前にある海岸へドボーンと飛び込み水泳をして、その後海岸で日光浴という毎日だった。その前後に面白そうなパネルに行って、昼食と夕食はホテルの近くの日本料理屋やショッピング・センターの中にあるそば屋でラーメン、天ぷらそば、ギョーザ、天丼など安い日本料理に舌鼓を打った。
東海岸とハワイの間には6時間の時差があるため少々時差ボケを経験したが、それでも旅行から帰って来て正式に休暇が始まるころにはすっかり調子も元に戻った。休暇の最初の朝は興奮していたため4時には目が覚め、眠りに戻ることができなかった。家族を起こさないように気をつけて起き出して居間で今まで読みたくても読めなかった新書版の本を2時間で一気に読破。朝食を食べて8時に子供達を学校に送り出して、その後お昼までコンピューターに向かいコンピューターとレーザーディスクを組み合わせたコンピューター教材の開発に没頭、昼食の後テニスのパートナーと1時間半のテニス、その後庭の芝刈り、夕方また読書、5時ごろから晩酌の後家族と夕食、御飯の後はピアノで尾崎豊の"I Love You"や森高千里の「渡良瀬橋」などの弾き語りの練習、というように自分のやりたいことをしているうちに一日はアッという間に終わってしまった。
あくる日も次の日も同じように時間に制約されることなくやりたいことができ、アレヨアレヨという間に一週間が過ぎてしまった。1週間がたつと、今までの時間に追われた生活に明け暮れていた自分を客観的に見ているもう一人の自分がいることに気付いた。
何時に何をすると計画を立てて一日を送る生活から解放されてみると、今まで如何に時間の束縛を受けていたかが分かった。月、水、金は3時間の授業、火、木は授業の準備と教材の開発、が当り前のようになっていて、午前7時から午後5時まで途中スポーツと昼食の時間2時間を除くとすべてオフィスで時間を費やしていた。それが当然と考え、それ以外の生活など想像したこともなかった。
ところが、休暇で自分のやりたいことをやりたい時間にする自由を味わってみると、時間に追われていた自分とは別に自由を満喫している自分がいるのだ。その自由を満喫している自分が、時間に追われていた自分にいろいろ問いかける。「何でそんなに忙しくしてるんだい?」「人生は一回きりしかないのにどうしてそんなにあくせくしているんだい?もっと楽しめよ」と。自由を満喫している自分の問いかけに私も無条件で賛成している。時間に追われていた自分にどう思うか聞いてみるが、私は今その状態にいないため答えが帰って来ない。今の私は自由を満喫している自分になっているから、その問いかけに答えられないのだ。言ってみれば、今の私は仕事から解放され好きなことを好きな時にやれて、いわば天国にいるのだ。人生を謳歌している幸せ一杯の人間なのだ。天国は奇麗な花が咲き乱れ、奇麗な鳥達がさえずり合っていて、幸福な人達がみんな楽しく生活しているところだそうだ。どうりで天国へ行ってしまった人がこの世に戻って来ないわけだ。どうしてこんな素晴しいところから悩み、苦労、悲哀に満ちたこの世に戻りたいと思う人がいようか。休暇を過ごして天国が天国である由縁が理解できた。
(速水健次郎「辛口エッセイ」)
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