「らしさ」への反発

 立教大学の交換研究員として夏2ヵ月強を立教のキャンパスで過ごすべく帰国した。バージニアの家を出て立教に着いて落ち着くまでの数日間に、日本では今でも「らしさ」が強く求められているんだなということを痛感した。
 サンフランシスコから成田までの国際線は約9時間の長い飛行なので、フリークエント・フライヤーのクーポンを使ってエコノミーからビジネスクラスにグレードアップしてもらった。利用した飛行機はユナイテッド航空の飛行機でスチュワーデスは大半アメリカ人だった。アメリカ人スチュワーデスはTシャツにジーンズの私を見ても別にどうということはなかった。ところが、日本人のスチュワーデスは私を上から下までじろりと見てエコノミーの客だと思ったらしく、「お客様、お席の番号は何番でしょうか?」と来た。スチュワーデスの目は、「ビジネスクラスの客はビジネスをする客で、あなたのような格好の人が利用するところではないわよ」と言っているかのようだった。確かにビジネスクラスに乗っていた客の大半はきちんとした服装だったが、快適な旅をするのにTシャツとジーンズがいいんだから私の勝手だろうと心の中でスチュワーデスに叫んだ。
 日本に着いて翌日早速私の受け入れの世話をしてくれた国際センターに挨拶に行った。普段夏休み期間中はネクタイから解放されTシャツに半ズボンだが、招待して下さった大学に挨拶に行くのにその格好ではあまりにも貧相なので、ワイシャツに普通のズボンにした。キャンパスを歩いて観察してみると先生とおぼしき人はたいていスーツだった。こりゃまずいかな、と思ったが、別に総長に挨拶に行くのでもないしまあいいかと気を取り直して国際センターへと向かった。
 ドアを開けて何者であるか告げた時の国際センターの人々の目がとても印象的だった。「えっ、まさか?この人が先生?」という感じの表情だった。たまたまそこに居合わせたという教授ももちろんダークスーツだったし、当然職員の方々は、交換研究員は学者、先生らしい格好で来ると思ったようで、真っ黒に日焼けしてラフな格好で先生らしくない私を見て驚いた様子だった。立教の教授達の服装を見て思い出したのは、数年前立教からうちの大学に来た交換留学生が初めて私に会った時、「先生は大学の先生のようではありませんね」という言葉だった。多分私の服装やマナーから判断して言った言葉だと思う。立教のキャンパスで学生と話しながら歩いていらっしゃる教授達を見て、その留学生が言った言葉の意味がよく理解できた。
 ある日親友と居酒屋で旧交を暖めた際さまざまなことが話題に上った。その時トピックがスポーツになり、定期的に運動をしているかどうかという話になった。親友は仕事に追われ普通の日はスポーツどころではないが、週末疲れてなければ時たま子供とキャッチボールをしたりサッカーのボールを蹴ったりするそうだ。しかし、自分から積極的に運動をしているわけではないとのことだった。私はテニス1時間半〜2時間、ランニング40〜50分、水泳1000〜1500メートル、自転車80〜90分のどれかを週に6回する、運動をしない日は速足の散歩を1時間半〜2時間すると言ったら、心配そうな顔で「おい、ちょっとそれはやり過ぎだぞ。もっと自分の年を考えろよ」と言われた。その運動量は若者の運動量でおまえには多すぎる、加減してやらないとケガをするぞ、ということらしい。これも、中年には中年に合った運動量があるんだから無理をするな、ということらしい。  カラオケボックスへ繰り出す機会があった。知人は70年代前半にはやった井上陽水や吉田拓郎の懐かしい歌を歌い、一緒に行った若い人達はSMAPやらTOKIOの歌を軽快なリズムに合わせて上手に歌った。私はと言えば、帰国前に覚えたDEENの「翼を広げて」やらサザンオールスターズの「真夜中のダンディー」などを絶叫した(私の場合カラオケはストレス解消が目的だから歌う曲はもっぱら絶叫できる歌に限られている)。その反応たるや、知人からは「おまえ、いつの間にそんな歌を覚えたんだ?」、若い人達からは「氏家さんがこんな歌を歌うなんて信じられない!」だった。私の年代の男性が歌う歌といえば、我等が青春時代を過ごしたフォークソングか演歌と相場が決まっているそうだ。それなのにいい年をして若い人の歌を絶叫してあんたは一体何してるねん、全く変なオジン、と言いたいのがよく分かった。これも中年の男性には中年らしさが求められている一つの証拠だと思われる。若い人の歌を歌って何が悪いんだ!
怎Cジケビッチ
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