「出る杭は打たれる」−これは昔から日本にある諺で、辞書には「目立つものはとかく他に押さえられる」と書いてある。この諺ほど日本人の特質を如実に物語っているものはない。個々人より集団の和が重要視され、集団からはみ出す個人は容赦なく叩かれる。その典型的な例が帰国子女である。
帰国子女は、日本企業の海外進出と共に増加した。彼等は、自分の意志とは関係なく、親の都合で外国生活を余儀なくされる。アメリカ、イギリス、ドイツなど先進国に行った子供は、大概その国の学校に入り、現地の言葉を学びながら週末に日本語学校へ行って日本語を勉強する。発展途上国に行った子供は、日本と比較してその国の教育水準が低いため、アメリカンスクールや幸運な場合は全日制の日本語学校へ行く。しかし、その国の言語を学ぶというのは極めて稀である。いずれの場合も、日本語を聞いたり話したりする機会は非常に限られるため、日本の子供と比較して当然日本語の能力が低くなってしまう。それと共に、国語、日本の歴史、地理など大学受験に必要な知識も不足してしまう。
また、外国の教育を受けるため、性格的にも日本の子供とかなり違ってしまう。日本では、皆と同じように考えたり行動したりするのが良いと教育されるが、外国、特に欧米では、他人と異なる自分独自の何かを大事に育てるべきだ、何かをする場合他人と違う自分にしか出来ないことをやれ、というように個人中心の教育を受ける。そのため、自分の意見、考えをはっきり分かりやすく主張するのが上手になって帰国する。
帰国子女が日本に戻って来て、学校に入る。当然英語などの外国語が堪能で、日本人の子供にはない何か特別な才能、技術を持っている場合が多い。以前なら何か特長を持っていると尊敬されたものであるが、最近はその特長さえ「いじめ」の対象になってしまう。英語の発音がきれいで生意気だ、ピアノが上手でお高くとまっている、など自分達と違っていることを理由に集団で帰国子女をいじめる。帰国子女は、仲間に入れてもらいたいので、他の子供と違う点は直して出来るだけ皆と同じようになろうと努力する。そのため、せっかく外国で身に付けたものを捨ててしまう。正確に自己主張する能力、流暢な外国語、物事を論理的に分析する能力、などすばらしい長所すらなくしてしまうことも度々ある。
教師の態度も帰国子女が海外で身に付けた素晴らしい能力を捨てる一因となっている。帰国子女は、長い外国生活を経験して、再び日本の学校生活に戻り安心する半面、他の子供達と一緒にうまくやっていけるかという不安が大きいに違いない。本来教育者のあるべき姿から考えると、教師は帰国子女が新しい環境にスムーズに順応出来るように協力して、彼らの長所を認め、それを積極的に伸ばそうと努力すべきである。しかし、現実には個人的に彼らの面倒を見る時間も暇もない。また、彼らの長所が受験勉強に関係のないものである場合には、全く無視するような傾向がある。早く他の子供達と同じようになることにのみ注意を払い、彼らの長所を伸ばすことなど眼中にないようである。
以上のような理由で帰国子女が海外で習得して来た貴重な財産が生かせない、ある場合にはその貴重な財産のために帰国子女がいじめの対象になるというのは、日本の将来にとって深刻な問題である。日本は「経済大国」になった今世界のリーダーの一員として国際社会のために貢献すべきだ、日本は島国根性を捨てて国際化を進めるべきだ、という国民の声が新聞を賑わしている。帰国子女は長い海外生活を通して鋭い国際感覚を身に付けて帰国する。それを有効に利用することが出来れば、日本が国際社会で活躍する際有力な武器になる。二十一世紀の日本を考える時、「出る杭」を打って、素晴らしい能力、長所を破壊し、その他大勢と同じ人間を作るような教育よりも、「出る杭」をどんどん伸ばし、活用するような教育をする方がいいのではないだろうか。
(速水健次郎「辛口エッセイ」)