うだるような暑さの中歩くのも億劫になるような昼下がり、道の向こう側に行きたいと思い辺りを見渡すと歩道橋しかなく、あれを上り下りしなくてはいけないのかと思いうんざりした、という経験をお持ちの方が多いのではないだろうか。それにしても都会には歩道橋が多すぎる。町の中至る所にあり、歩行者に余分なエネルギーを使わせている。
歩道橋を普及させるという発想は車中心主義、経済至上主義の産物にほかならない。道路に横断歩道があると、歩行者が横断歩道を渡っている間車は停止しなければならず流れが悪くなる。渋滞をできるだけ少なくし、車がスムースに流れるようにする手っ取り早い方法が歩道橋だ。「歩行者そこのけそこのけ、お車様のお通りだ」というわけだ。何だか参勤交代の行列が通る時に庶民が平伏させられたのと同じような気がする。
将来高齢化社会の問題が深刻になると予想され、21世紀初めには現実となる高齢化社会に備えて現在いろいろ模索している段階であるが、歩道橋の存在は住みよい社会の建設という点から考えて早急に検討されるべき問題の一つであろう。歩道橋は健康な人を対象に考え出されたもので、老人、幼い子供、体の不自由な人を慮る視点が全く欠落していて、「弱いものいじめ」以外の何物でもない。歩道橋の上り階段の真ん中で杖を片手に大きく肩を震わせ息をしている年配の方や歩き疲れてお母さんに手を引かれ泣き泣き上っている幼児をよく見かける。歩道橋は、年令、体力の面で一定の基準に達していなければ利用できないことになる。利用できない人はどうすればいいのだろうか。外出するなと言っているようなものだ。歩道橋は弱者に対する差別である。一方、その歩道橋の下をピカピカに磨かれた車をエアコンで快適なドライバーが運転して通り過ぎる。車にやさしい、人に過酷なこんな歩道橋の存在を認めておいていいのだろうか?
また、歩道橋が美観を損なう場合も数多くある。旅行で地方都市に降り立った時、果たしてこの町はどんなふうになっているのだろうか、と胸をときめかして駅から町を眺めた経験はどなたにもあるだろう。私の場合残念ながら、駅前が歩道橋中心に設計されていて殺風景な感じしか受けず期待を裏切られた経験の方が多い。どんなに有名でみんなが良い所だと言っても、第一印象というのは馬鹿にならないもので、初めに悪い印象を受けると、それが後々まで尾を引いて素直に鑑賞できなくなることもある。更に、市内観光中に遠景にお城がそびえ立っているのに歩道橋がそれを遮っていたり、街並みと歩道橋が不釣り合いでどうもしっくりしない場合があったりすると、旅の情緒が失われてしまう。しかも、ほとんどの歩道橋は大体同じ構造になっていて美的センスに欠けたものばかりである。風景にマッチした歩道橋を見かけることは稀である。
人にやさしい住みよい町作り、未来の都市の在り方を真剣に考えるのだったら、歩道橋の存在意義、必要性を是非もう一度検討すべきではないだろうか。(速水健次郎「辛口エッセー」)