「子供専用車」

 先日の新聞でグリーン車の中で子供に騒がれて不快な思いをした一人の乗客が、「親の教育がなってない」、「注意しないことが教育の一つと勘違いしている」などと主張し、「JRは禁ガキ車を作るべきだ」と提案していた。彼は、静けさ、快適さを求めて高い金を払いグリーン車に乗った。しかし、たまたまうるさい子供がそのグリーン車に乗り合わせていて、子供がうるさくしているのに一緒にいた母親は全然注意をしなかったそうだ。「禁ガキ」という言葉を使っているところをみると、よほど頭に来たのだろう。

 私の場合平均的なサラリーマンなので旅行する時はいつも普通車だが、同じように車内で子供が結構大きな声で騒いでいる場面に出くわしたことが何度かある。こういう場合、アメリカでは親が静かにするように厳しく注意し、それでも子供が言うことを聞かない時には他の乗客に迷惑がかからないように車両の外に連れて行く。同じようなことが起こった時日本では親がどう反応するかと親の態度に注目して様子を見るが、厳しく親が子供を叱る場面は数少ない。口では「うるさいですよ。もっと静かにしなさい」と言って注意するが、本当に静かになるまで徹底的に叱ることはまずない。子供は一時的に静かになるが、しばらくするとまた前と同じように騒ぎ始める。私には、親が「子供だから、少々うるさくしても許してもらえるだろう」と考えあまり注意せず、乗り合わせた乗客も「子供なんだから、うるさくしても仕方がないだろう」と考えて騒がれても何も言わないように思える。

 しかし、子供が車内で他の乗客に迷惑をかけているのを、「子供だから」という理由で許したら、それは子供と親の乗客に対する甘えを許すことになるのではないだろうか。もちろん子供は人のことを考えずに騒いだりすることがよくある。親が注意してもきかないこともよくある。家庭などの個人の場での話ならそれは一向に構わない。ところが電車の中という「公共の場」ではどうだろうか。読書を楽しんでいる人、一時的に仕事から解放され快い睡眠を貪っている人、外の景色を味わっている人など数多くの乗客に対して大声で騒いだり、車内を走り回ったりして迷惑をかけたら、それは子供の責任だけではなくその子供の親の責任でもある。いや、子供の責任よりもむしろ子供が乗客に迷惑をかけているのを厳しく注意しない親の怠慢が強く追及されるべきではないだろうか。口で言い聞かせる、それでもだめなら子供を車両の外へ連れ出すなどしてその場を収める、どんなに厳しく注意しても聞かないようなら今後電車での旅行はさせない。親としてそのくらいのことをするのは当然だ。

 また、JRも乗客を確保するために特別な電車を考え出すべきである。上記の乗客の「禁ガキ車」は少々大げさだが、アイディアとしては大いに賛成である。親も子供も他の乗客に気がねなく旅行を楽しむために何両かの車両を「子供専用車」にして親と子供で自由にくつろげるようにしたらどうだろうか。子供は旅行中ずっと席に座っているのは苦手だろうから、思いきって席を半分ぐらい取り払い、遊べる広いスペースを作って自由に手足を伸ばせるようにする、親や遊び疲れた子供が座れるよう座席を一人一人の席にするのではなくソファーのようなものにする、などみんなでアイディアを出しあえば快適な「子供専用車」が作れるのではないだろうか。別にすべての電車に「子供専用車」を作れというのではない。学校が休みになる夏休み、冬休みやゴールデンウイークなど子供連れの旅行が予想される時期だけに限定すればいい。乗客全員が快適な旅行を楽しむためにも「子供専用車」は一考に値するのではなかろうか。(速水健次郎「辛口エッセイ」)  

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