「車、人の波」

 1994年の夏は気象庁観測史上最も暑い夏だそうで、約2ヵ月間東京で夏を過ごした私もその暑さを充分味わった。熱帯夜で早朝の最低気温が30度弱と全然涼しくならず、扇風機を付けているより止めた方が涼しく感じるということが分かったくらいだった。しかし、一夏を日本で過ごすのは10年ぶりだったので、その暑さにも関わらず家族全員いろいろなことをして日本の夏を満喫した。

 初めがあれば必ず終わりがあるもので、8月22日いよいよアメリカに戻る日が来た。四人家族で荷物がかなり増えて借りて住んでいた三鷹の家から成田までバス、電車で行くのはしんどいなと考えていた時、仕事を一緒にしている出版社の日本語教育担当の人が成田まで車で送ってくれるというので、言葉に甘えることにした。

 飛行機の出発は午後5時半だったが、お盆明けで渋滞があると困るから十分余裕を見て12時三鷹出発ということにした。三鷹に来る途中出版社の人がラジオで渋滞情報を聞き、中央高速の三鷹料金所付近で事故処理のため2キロ渋滞というニュースを聞いていた。中央高速で行くか、甲州街道で行くかしばし話し合って、結局中央高速で行くことにしたが、渋滞情報の通り調布インターで高速に乗ったら渋滞に巻き込まれてしまった。

 首都高速でも同じように何回か渋滞に巻き込まれた。「高速」とは速いスピードで走ることを意味するが、都内に関してはゆっくり走ることと同じ意味らしい。文字通りに解釈すれば「高速」ではなく「低速」だ。渋滞何分以上だったら料金を返すぐらいのことをしてもよさそうだ。

 やっと成田に着いてチェックインのため飛行機会社のカウンターに行ったら、ここでも長い行列があった。今年の夏は海外旅行者の数が史上最高とのことだから、心の準備はできていたが、それにしても人が多い。これでは今日のフライトは定員オーバーではないかと思い、冗談で「もしエコノミークラスがいっぱいだったら、喜んでビジネスクラスに行きますよ」と係の人に申し出たら、案の定定員オーバーで家族四人全員ビジネスクラスに乗ることができた。

 搭乗手続きをやっと済ませて出版社の人と昼御飯を食べにレストランに行くことにした。食事のレパートリーが少ない子供のために子供が食べられる食べ物があるレストランを選んで行った。既に2時半だったが、そのレストランも長い行列だった。これから外国に行こうとする人達は、しばらく日本を離れるのだから思いっきりおいしい日本料理を食べておこうと考え、日本に帰国しまた戻る海外居住者は、しばらくおいしい日本料理がたべられなくなるから最後に食べようと思うのだろう。皆辛抱強く自分の順番が呼ばれるまで待っていた。

 税関を通るといよいよ日本ともお別れだ。2000円の高い空港使用料の切符を買って税関へ。毎年のことであるが、そこはいつも人、人、人。日本を出る最後の最後まで人の波だった。しかし、話はそこで終わらない。エコノミークラスが定員オーバーのため完全に満席で、ビジネスクラスもほとんど満席でここでもこれでもかというくらい人の洪水だった。我が家に帰る最後の飛行機(30人乗りのプロペラ機)に半分ぐらいしか乗客がいないのを見た時、やっとアメリカに帰って来たなと実感した。(速水健次郎「辛口エッセー」)

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