「ランニング」


           ランニングは中学時代野球のピッチャーをやっていた時からのつきあいです。ピッチャーは走り込んで足腰を鍛えなくてはいけないと言われていますが、私の時代は金田や稲尾の全盛時代でした。彼等はただひたすら走り込んだそうですが、私もずいぶん走りました。おかげで走ることが苦にならなくなり今でも週2ー3回走っています。
       ボストンは勿論ボストン・マラソンで有名です。毎年ボストン・マラソンの時期になるといつもいつかはあのコースを走ってみたいなあと考えました。心臓破りの丘を征服してひたすらゴールを目指すなんてロマンチックじゃありませんか!ボストンの冬はテニスが外でできないこともあって、冬はもっぱら走りました。オフィスでランニングの服に着替えて同僚に仕事もしないで遊んでばかりいるという非難の目に晒されてもひたすら我慢して、きまった時間になると走りました。
       1986年とうとう一大決心をして誰が何を言おうがボストン・マラソンで走ると決めて、トレーニングをしました。あのころは早いペースは1マイル6ー6・5分で走る訓練をしました。でも、マラソンは26マイルだからそんなに早くは走れない、まあ3時間以内ならいいだろうと目標を3時間と決めました。
       いよいよ待ちに待ったマラソンの日です。60度台のマラソンに最高の温度でウエズリー(Wellesley)をスタートしました。記憶が正しければウエズリーからニュートンまでおおむね下りで、興奮していることもあって1マイル6・5分のペースでした。「あっ、これはまずいな」と思いましたが、周りもそのくらいのペースだったのでついつい飛ばしてしまいました。心臓破りの丘に来たころにはかなり疲労がたまってしまい、とうとう歩いてしまいました。心臓破りの丘は結構長くて数マイルあります。そのころから空が怪しくなり、真っ黒な雲がモクモクと現われ始めました。ゴールから6ー7マイルのウォータータウンあたりで雨になり、温度も下がり始め服はビショ濡れ、靴は雨で重くなりとうとう足の筋肉がつってしまいました。また歩き始めそれから後は走ったり歩いたりの繰り返しでゴールの市立図書館に着いた時にはもうどうでもいいやという気分でした。結局予定より大幅に遅れ3時間40分ぐらいでゴールインしたと記憶しています。
       やっと走り終わりましたが、それからがまだあるのです。ゴールから家まで地下鉄を乗り継いで帰らなくてはいけないのです。ゼッケンがあるランナーはゴールインした後で手厚い看護があるのですが、私のようなback of the pack runnerにはまったく何もありません。それでも気の毒に思ったのか一人の女性がプラスチックのゴミ袋のようなコートをかけてくれました。雨で寒くてブルブル震えていた私にはそれだけでもずいぶんありがたいことでした。ランニングシャツとランニングパンツしかまとっていなかったのですから!
       地下鉄の駅に行って棒のようになった足を引きずりながら駅の階段を下りたり上ったりして、老人の悩みをあの時初めて実感しました。この間新聞に老人が苦労することの一つに駅で下りる時エスカレーターがないことがありましたが、本当にそんな感じで痛む足を引きずって下りて、如何に大変なことかということが分かりました。階段の上り下りが大変だということは次の日オフィスに行った時にも感じました。足がまるで他人のもののようなのです。雲の中を歩いているような変な気持ちでした。というわけで、ボストン・マラソンを完走したことは一生忘れられない出来事の一つです。

年と共にペースも落ち最近では1マイル7.5分ぐらいで6ー8マイル走るのが普通です。テニスと共にランニングは一生続けることでしょう。一番安いスポーツですから、、、。
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