ギターを始めたのは中学時代です。叔父の一人が大学でギター部に入っていてコンパやコンサートで遅くなって自分の家に帰る汽車に乗れない時よくわが家に泊まりに来ました。その時彼のギターを遊び半分で弾いたのが始まりです。
高校に入ると自分のギターを持ち、ギターの教則本を見ながら見よう見まねでコードを覚えました。当時フォークソングが全盛で、国内では加川良、泉谷しげる、トワエモア、森山良子、アメリカではジョーンバエズ、PPM、キングストントリオ、ブラザーズフォーなどが流行していました。あのころはまだレコードも高かったので、テープに彼等の歌を録音してはコードを見つけ自分流にアレンジして弾き語りをしていました。
ICUでもよく寮で歌っていました。1970年ヨーロッパ、イスラエルのキブツへ無銭旅行した時にもギター片手でした。ヒッチハイクをして希望があれば、車の中でお礼に日本のフォークを歌ったこともあります。ドイルのユースホステルでアルバイトをした時には夜ホステルの外で歌いドイツ娘を感激させデートまで発展したこともあります。大学時代は、ジュディ・コリンズ、ジョニー・ミッチェル、ジェームズ・テイラー、ゴードン・ライトフット、吉田拓郎、ビートルズ、かぐや姫、南高節などの曲をよく弾いたものです。
ギターと言えば、どうしても忘れられない思い出にハーバードスクエアでの経験があります。1978年ハーバード大学で教えることになった時、8月の末にボストンにやって来ました。授業は9月の中旬までありませんでした。9月の10日ごろまで大学に出る必要がなかったので、町の中をいろいろ見て回りました。大学の近くではハーバードスクエアが有名です。地下鉄の駅に行ったら、何人かのミュージシャンがギターの弾き語りをしたり、キーボードを演奏したり、フルート、バイオリンを弾く人など様々な人がいました。専門家顔負けの人もいれば、楽器と歌があまり合っていない人もいました。怖いもの知らずの私は、「何だ、俺でもできるんじゃないか」と思い、ある日ギターを持って地下鉄の駅の中に入りました。駅の中は音が反響し音響効果がとてもよかったです。少し緊張しましたが、ギターを片手に「小さな日記」、「山谷ブルース」、「友よ」など日本のフォークを歌い始めました。日本語が珍しかったのかいつのまにか人だかりができて、曲が終わると拍手、貧乏ミュージシャンに理解がある人はギターの近くにおいた帽子にお金を入れてくれるではありませんか!英語の曲のリクエストもあり、"Here Comes The Sun", "Sloop John B", "Both Sides Now", "Circle Game", "Sound of Silence", "Here, There and Everywhere", "Sundown", "Fire and Rain", "Pack Up Your Sorrow"など当時知っていた曲を次々に披露しました。結局数時間弾き語りをやって、結構な額のお金が帽子に入っていたと記憶しています。
すっかり気を良くして新しい教師のためのオリエンテーションに行くべく大学の東洋学部に行ったら、たばこをパカパカ吸う50代の秘書に呼び止められて、オフィスの隅へ連れて行かれました。そこで、彼女に「この間地下鉄の駅であなたのような東洋人がギターの弾き語りをしていたけど、まさかあれはあなたじゃないでしょうね。」と聞かれました。私は、「ああ、ディギーさん(秘書の名前)もあそこにいたんですか。まだ大学も始まっていなかったし暇だったので、ちょっと遊びであそこで弾き語りをしたんです」と答えました。そしたら、彼女は軽蔑するような目で怒りを抑えながら、「ミスター氏家、あなたはもうれっきとしたハーバードの先生なんですよ。ハーバードの先生が浮浪者みたいに地下鉄の駅で弾き語りをして金をもらうなんて冗談もいいかげんにして下さい」と言われてしまいました。その当時はまだ大学も始まっていませんでしたから、ハーバードの先生方がどんな服装でどんな感じなのか全然わかりませんでしたから、彼女の言う意味が全然理解できませんでした。でも、初めから失敗をするのは嫌だったので、その場は謝っておきました。幸いにも彼女は「私がミスター氏家を地下鉄の駅で見たことは誰にも言いません」と言ってくれました。大学が始まって教授達がどんな服装で授業をするか自分の目で見て始めて私のしたことがちょっとまずかったなと理解できるようになりました!
ここ10年ほどあまりギターはしていませんが、ピアノの弾き語りを始めてから、またギターの弾き語りにも興味が持てるようになって来ました。今年の夏立教大学に滞在中に楽器屋に行って新しいギターの弾き語りの本を買って練習しようと考えています。