四十路、五十路と齢を重ねると、それなりに今までの歩んで来た人生、これからの残り少ない人生についていろいろ考える。最近五十路に入り、日本人男性の平均寿命75才の2/3生きたことになる。過去を振り返るのはあまり興味がないので、現在のあるがままの自分、将来あるべき自分について考えてみたい。
仕事の面では、アメリカで日本語を教え始めて22年、ボストンで11年、バージニアのレキシントンに移って11年、ニューイングランドと南部でちょうど同じ長さ教えたことになる。長いようであっという間だった。視聴覚教材の開発に興味を持って、日本語の文法や日本の文化、習慣を教えるためのビデオ、レーザーディスクの作成に携わって来た。さらに、中級用の読み教材をテキストにして出版したり、手作りのビデオや日本で撮影した静止画を他の日本語教師とシェアすべく著作権フリー視聴覚リソースセンターを設立したりした。22年間の教師生活の成果としてはまあまあではないかと自負している。自己採点をすればB+〜A-というところか。
家庭生活の面では、夫として22年、度重なる夫婦喧嘩、両親の病気、死去に伴う離婚騒動などいろいろ危機はあったが、ちぐはぐながらも夫婦で共同生活を送っている。また、娘二人の父親として、一人を大学、もう一人を高校に送っている。平均的アメリカ人と比較して、仕事に追われ、家族と過ごす時間は少ないかも知れない。アメリカの家庭では、夫の家事への参加が日本よりはるかに進んでおり、私も料理、掃除、芝刈りなど様々な家事を分担している。週末の3日間は夕食の和食が私の担当だ。特に、金曜の夕食は好物の寿司で、自分にはまぐろ、鮭、海老と数少ないネタで握り、妻と娘にはかっぱ巻き、納豆巻き、カリフォルニア巻きなど巻物を作る。酢の物、煮物、刺身など趣味と実益を兼ねて4、5種類の料理が食卓に並ぶ。土曜日は午前中が掃除の日でテレビの部屋、居間など4つの部屋、階段、廊下、ベランダの掃除をする。春から夏にかけては芝刈り、垣根の刈り込みなどの仕事が増える。
趣味の面では、費やす時間が少ない割には充実している方だろう。スポーツは、どの程度忙しいか、その日にどんなことをしなくてはいけないかにかかわらず、毎日欠かさずにしている。たいてい昼休みの時間に2時間オフィスを抜け出して、テニス、ランニング、自転車乗り、水泳のどれかとウエイトトレーニングに励む。テニスの相手はうちの大学の男子と女子のテニスチームのメンバーや大学時代テニス部に入って活躍していたロースクールの学生、隣の士官学校(VMI)のテニス部の監督など20〜30才台のパートナーだ。負けん気が強く試合に負けると、相手には、「君の方がより若い、より力があるし、技術も上だから、私が負けても不思議じゃないね」などと相手を讃えるが、内心は、「こんちくしょう、何でこんな若造に負けたんだ、もっとしっかりせなあかんやないか」と猛烈に悔しがる。テニスに関しては、五十路で若者とそこそこにやっているのだからAだろう。ランニングも40〜50分で、自転車乗りも60〜80分で、以前よりスピードも距離もそれほど変わっていないのでスポーツについてはAをやってもいいだろう。
音楽に関しては、以前はパイオニアから寄付してもらったカラオケで絶叫するのが楽しみだったが、今はピアノとギターの弾き語りに凝っている。カラオケは流れて来る音楽に合わせて歌うだけだが、弾き語りは楽器を上手に弾いた上それに合わせて歌を歌うので更に高度な技術が要求されチャレンジになって面白い。夕食後に30分か1時間弾き語りの練習に時間を使いたいが、なかなか時間が取れないのが今の悩みの種である。
このように客観的に考えると、私の五十路はそれほど悪いものでもないようである。二十歳の頃抱いていた五十路のイメージは、白髪が目立ち始め、早朝犬を連れてゆっくり散歩、夕方暗くなりかけた頃黒い鞄を片手に疲れ切った顔でトボトボ自宅に向けて帰路を急ぐ、であった。それに比べると、実際の五十路はまだましだ。それでは、人生の残り1/3を充実したものにするためにはどんなことが必要であろうか?
先ずは、仕事の面では、5年に1度もらえる研究休暇をフルに活用すること。1995年と1996年春学期に6週間の休暇を取ったが、授業のこと、クラスのことを心配せずに研究に打ち込めるのは夏休み以外そうざらにない。しかも、休暇中給料が全額支払われるのだから、こんなに良いことはないではないか。精神的にも肉体的にもリフレッシュできるし、新しいアイディアもいろいろ湧いて来て、教材開発も一層進む。一石二鳥どころか一石四鳥ぐらいだ。早速来年休暇を取ろう!
家庭生活の面では、娘達が完全に独立するまであとわずか7年。上の娘が大学を卒業して独立するまであと2年、下の娘は15才、9月から高校1年で大学を卒業させて親として子育ての責任から解放されるのは7年後の2007年5月。下の娘はすでにティーンエージャーのプロで、親子の対話の時間より友人、ボーイフレンドとの対話の時間の方がはるかに多い。親離れがすでに始まっているのだから、わざわざ父親として娘との対話を増やそうと努力する必要はないだろう。となると、「定年と共に妻からの離縁状」などというタイトルでしばしば日本で報道される熟年離婚などということにならないように妻との関係に気を使った方が良いのだろう。自分が日本語教育の現場で思う存分したいことができたのも、毎年夏日本に戻り様々なプロジェクトを実行できたのもひとえに縁の下の力持ちがいたからだと考えると、そろそろ縁の下から床の間の前の上座に座ってもらう時期なのだろう。幸い音楽とスポーツで共通するところがあるので、そこらへんから始めるのが適当だろう。妻は昔から歌を歌うのが大好きだし、大学時代よくギターで作曲をしたイジケビッチが昔を思い出して妻のために歌を作り、それをピアノで伴奏して、ギターができる妻にギターを弾いてもらって二人でハモるということができたら、趣味と実益を兼ねて最高ではないか。それを日本語教育の現場で使えるようアレンジしてリソースセンターに入れて他の先生方に使ってもらうという形にできたらますます良い。
日本に戻る飛行機の中でワイングラスを片手に書き始めたら、ワインがおいしいせいかどんどん広がる。よくよく考えてみると、五十路も五十路なりに可能性を秘めていて、心配したほど悪いものではないような気になって来たのは酔いのせいだろうか?
@イジケビッチ
「辛口エッセイ」に戻る