今年のレキシントン・オープンは元ボスでうちの学部のボスとして11年間頑張ったヒル先生の死去と共に始まった。というのは、金曜の夜からト−ナメントが始まったのだが、その朝9時前にヒル先生が亡くなったということが分かり、最後の挨拶、これからのこと、などいろいろあってしっちゃかめっちゃかの一日であった。テニスに集中して優勝を目指す雰囲気とは全く異なり、お通夜のこと葬式のことなど考えなくてならない日であった。すぐ頭に浮かんだのは、葬式関係で週末テニスをするのはキャンセルしなくてはいけないだろうなということだった。しかし、彼の遺言によると、葬式やセレモニーは全く行わない、火葬にして灰にするだけ、大々的な死亡広告は出さない、ということが分かり最後の最後でトーナメントに出ることにした。
2001年のレキシントン・オープンは8月31日から9月3日にかけて行われた。昨年オープンのシングルスで優勝したので今年イジケビッチは第一シードで一回戦が不戦勝で準々決勝からの出場だった。相手は実際に試合はしたことはないが、よくテニスセンターで顔を合わせる人の良いおっさんだった(と言ってもイジケビッチより10才ぐらいは若い)。金曜の夜からトーナメントが始まり、順調に予定を消化したが、土曜のお昼頃に雨が降り出して午後の予定がすべて日曜に延期になってしまった。ところが、2時頃晴れてきて試合をするのが可能だった。相手のおっさんから電話がかかって来て、明日の朝ではなくて午後4時に試合をしないかと言われたので、一日に3試合するのはしんどいイジケビッチは喜んでオーケーした。相手はバックハンドは左手で打つという変則プレーヤーであったが、集中していたイジケビッチはミスもあまりせずに6ー1、6ー1で簡単に勝った。
準決勝は昨年同様ロースクールの学生だった。一昨年のチャンピオンで、サーブアンドボレーが得意な相手だ。去年は3セットマッチにもつれ込み最後は6ー4で勝った。今年は結婚したばかりの新妻と新妻の両親も応援に来ていた。トーナメントが始まった金曜の朝同僚が死亡したイジケビッチはこのトーナメントに優勝してそれを同僚に捧げようと決心していたせいか、負けることを一切考えなかった。サーブのリターンが良く相手のボレーがアウトになるのがしばしばだった。ショットが正確でパッシングショットも面白いように決まった。第一セットは6ー2と思ったより簡単に取れた。
準決勝の相手と新妻
夏2ヶ月日本にいた間思うようにテニスが出来なかったので、サーブアンドボレーは不安定と判断、ベースラインに留まって短いボ−ルが来たらベースラインぎりぎりにアプローチショットを打とうと決心していた。そのため自分のサーブの時には一つ一つのポイントがかなり長かった。
相手のサービスゲームを破ること5回、破られたのがわずか1回で第2セットは5ー4、イジケビッチのサービスゲームだった。ここで初めて勝ちを意識して畏縮してしまい、ダブルフォールトとストロークのミスで0ー30なってしまった。ここでサービスゲームを落とすと第2セットを取られてしまい、そのままずるずる負けてしまうところだった。しかし、今年のイジケビッチはどうしたわけか冷静で次の4ポイントを連取して6ー4で勝利を収めた。試合が終わったのが夕方の5時半だったので、決勝は翌日月曜日のLabor Dayにセットされた。ところが、Labor Dayは大学の仕事始めの日で朝から夜までびっしり予定が詰まっていたので、シングルスの決勝を9月6日の木曜日にしてもらった。
決勝の相手も昨年と同様もう一人のロースクールの学生だった。去年はイジケビッチが第1セットを7ー5で取り、2セットの第1ゲームをブレークしたら、相手が戦意を失って棄権、という変な形でチャンピオンになった。お互いに休養十分で試合にのぞんだが、相手は体が暖まるまでに時間がかかるらしく、第1セットはイジケビッチが相手のサービスゲームを3つブレークして意外に簡単に6ー3で奪取した。ところが、第2セットに入ると相手の弾丸サーブが入り出してサーブをブレークするのが困難になった。あまりにも早いサーブに「110マイルのサーブはバージニアの70マイルのスピードを大幅に越えていて違反だぞ」とイジケビッチが冗談を言ったが、試合後の話でペンシルバニアの大学のテニス部でテニスをしていた時最速のサーブは何と127マイルだったそうだ。全米オープンでのピート・サンプラスのサーブのスピードと同じぐらいではないか!そんな速いのをイジケビッチが返せるわけがないではないか。結局2人ともサーブを一度も落とすことなくキープして6ー6でタイブレイクを迎えた。お互いにサーブをキープしてイジケビッチが5ー4で相手のサーブに移った。相手のサーブはすごく速くてボールが見えないと思うくらいで何とか返したが、サーブアンドボレーで前に出て来た相手はかなり素晴らしいボレーをベースラインぎりぎりに決めて来た。どうしようもないイジケビッチは仕方なくロブを上げて時間をかせごうとした。ところが、幸いなことにロブがかなり高く上がったので、相手は簡単なオーバーヘッドをミスしてネットにひっかけてしまった。これで6ー4だ。後1本でイジケビッチの勝利だ。ここで決めなければ勝つチャンスを逃してしまう。絶対にここで決めようとイジケビッチは決心してリターンに集中した。次のサーブも前のサ−ブ同様100マイル以上のものすごい速いサーブだったが、たまたまイジケビッチの体の近くに来て得意のバックハンドで相手の足元にリターンを返すことが出来た。相手は6フィート2インチで手も足も長いが、ちょうどその長い足に向かってリターンが返って行って、相手のボレーがネットにひっかかってゲームセット!タイブレークを7ー4で制して2年連続のチャンピオンが決まった。6ー3、7ー6のゲームに90分かかったが、何とか優勝することが出来てイジケビッチは日本酒を飲むのに丁度良い大きさのカップを賞品にもらい、そのカップで美酒を味わったのである!
イジケビッチの優勝を報じた新聞記事
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怎Cジケビッチ