日本語教育に携わっていらっしゃる方で牧野先生のお名前をご存じない方はまずいらっしゃらないでしょう。アメリカ国内だけではなく、日本でもアルクのOPIのワークショップなどで御活躍なさっています。いつお会いしてもとても誠実に対応なさって下さり、かえってこちらが恐縮してしまいます。真面目なお人柄が話の節々に感じられます。
さて、牧野先生には第2回バージニア州日本語教育ワークショップのゲスト・スピーカーをお願いしました。偉い大先生なので引き受けて下さるか心配でしたが、すぐに快諾して下さいました。トピックは「言葉と文化の接点ーウチと外の場合」
("An Interface Between Language & Cultures:Case Study of "Uchi" and "Soto"")と「中等教育と高等教育における日本語教育の問題について」( "Issues in Pre-College and College Japanese Pedagogy")でした。
ワークショップは金曜の夜から土曜の夕方まででしたが、先生のキーノート・スピーチが金曜の一番初めで、スピーチの強い影響を受けてワークショップはとても引き締まったものになりました。土曜の夕方解散になりましたが、その後参加者に聞いたら緊張の連続ですっかり疲れてしまった人が多かったようです。それは、最初から最後まで牧野先生がペーパーの発表にいろいろコメントして下さったからだと思います。
土曜日の夜は牧野先生と前回登場なさったワシントン大学の加藤先生のお二人が拙宅に泊まって下さいました。大抵お客さんがいらした時は手作りの料理を出しますが、その時はワークショップのオーガナイザーとしてワークショップにかかりきりだったので、町に一軒しかない中国料理のテイク・アウトを夕食代わりにしたと記憶しています。牧野先生はビール、私と加藤先生はバーボンを飲みながら話がはずみました。たまたまその年パイオニアの社長に直接手紙を書いてカラオケを日本語教育で利用したいから機械を寄付してくれないかと頼んだところ、すぐに機械と日本の曲400曲分入ったレーザーディスクを送ってくれました。(ちなみに、パイオニアは他に英語の歌400曲、中国語の歌400曲も寄付してくれました。バブルがはじける直前だったのでそれはそれは気前が良かったです?!?!)せっかくいらした日本人のお客さんですから、カラオケでもてなさない手はないとばかり、話題をカラオケに持って行きました。そしたら、何と牧野先生はカラオケをなさったことがないというではありませんか。これ幸いとばかり、早速カラオケパーティーを開くことにしました。
その場には牧野先生、加藤先生、うちの大学で助手をしてもらっていた行田さん、家内と私がいました。みんな遠慮してマイクを握ろうとしません。そのころまでには既にワークショップの疲れとバーボンの影響で酔いが回っていた私が初めに歌ったのでしょう。きっと次に加藤先生の「長崎は今日も雨だった」だったでしょう。家内も「ラブイズオーバー」などを歌ったかもしれません。行田さんもおはこの「乾杯」などを歌ったことでしょう。何せ400曲ありますから、自分の歌える歌を探すのも結構大変です。牧野先生はみんなが歌っている間に他の人の歌を聞く御様子もなく、歌える歌をいろいろ探していらっしゃいました。そして、御自分の番になると、おもむろに曲をリクエストなさいました。度重なる講演で慣れていらっしゃいますから、マイクの持ち方は誰よりも上手でした。歌は多分「知床旅情」だったと記憶しています(それとも、ペギー・葉山の「学生時代」だったか、都はるみの「北の宿から」だったかはさだかではありません、、、)。でも、歌の方はカラオケに慣れていらっしゃらないからお世辞にもお上手とは言えませんでしたが、音程を正確に保ってきちんとお歌いになりました。どちらかと言うと、中学校や高校の音楽の時間に生徒が先生に何かを一人で歌わせられた歌を聞いているような感じでした。でも、バージニアの片田舎のレキシントンで日本語の重鎮の牧野先生のカラオケが聞けるとは考えてもみませんでした?!?!あの時以来アルクの西岡局長などとカラオケのはしごをなさって、牧野先生のカラオケは今では玄人の域にまで達しているのではないでしょうか?牧野先生がカラオケで歌っていらっしゃるのを聞いた方、現在の牧野先生のカラオケのレベルがどの程度か教えて下さい?!?!
これがカラオケで歌っていらっしゃる牧野先生です。講演していらっしゃる時より真剣な目じゃありませんか?果敢にカラオケに挑戦していらっしゃるのがよくお分かりになるでしょう?!
怎Cジケビッチ
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