「衰えの実感」

 2003年4月17日はイジケビッチにとって屈辱的な日であった。それは今まで感じたことがない肉体の衰えを感じさせられたからである。イジケビッチの生活の中でテニスは最も重要な活動の一つであり、精神安定上欠かせない活動である。五十路に入っても二十歳前後のテニス部の学生(と言っても20人いるテニス部の学生の中で下の方の学生)と互角に試合を進められるのが自慢の一つであった。ところが、4月16日にある学生に一方的に負けてしまった。この学生は一年生でルーマニアから来た学生だ。ルーマニアで高校生だった時ジュニアのランキングでトップクラスだったそうだが、うちの大学のテニス部のレベルは全国的に見ても高いので、チームの中では20人の部員の中で13、4番目だそうだ。秋に数回3セットマッチの試合をした時、90分で勝負がつかなかったが、スコアはいつも6ー4とか7ー5と接近した試合だった。彼は1月から3月末までチームと毎日練習したので、かなり上達していた。4月16日に試合をした時は、第一セット4ー5でイジケビッチのサービスゲームの時ガットが切れて、慣れない予備のラケットを使ったためかそのゲームを落として、4ー6で取られてしまった。ここまでで一時間かかったが、この学生に左右に揺さぶられ動かされたので、イジケビッチは体力をかなり消耗してしまった。第2セットに入るとこの学生は自信を持ってベースラインからビシビシ速い球を打ち始め、イジケビッチはミスが多くなり、結局1ゲームも取れずに0ー6で負けてしまった。今年に入って初めての敗戦だった。その時は、ガットが切れて、それと共に集中力も切れてしまったのだろう、新しくガットを張り替えてやれば大丈夫だろう、と楽観的に考えていた。
 試合の後体育館で肩、腕、腰にたっぷりシャワーのお湯を浴びせかけて筋肉をほぐし、帰宅してマッサージ機で丹念にマッサージをして次の日に備えた。ところが、翌17の日結果はというと、驚くべきことに2ー6、2ー6の惨敗であった。敗因は、彼のパワーに対処できなかったことと左右に動かされてスタミナが続かなかったことだった。パワーヒッターとやる時はペースを乱すためにドロップショットを打ったり、思いっきりトップスピンをかけてムーンボールを打ってネットに出てボレーで決めたりする。ところが、その学生はドロップショットが来ると、ネットにダッシュして来てベースラインぎりぎりに速い球を返すので、イジケビッチが追いついても返すのがやっとで、次のボレーで決められてポイントを取られてしまう。イジケビッチがムーンボールを打って彼のペースを乱そうとするが、ヨーロッパのレッドクレーでトップスピンの高くはずむボールに慣れている彼にはムーンボールもなんのそので、イジケビッチのよりすごいムーンボールが返って来る始末だ。ムーンボールのやりとりは1ポイントがかなり長くなる。ひどい時には1ポイント取るために15回から20回ぐらい打ち返さなくてはいけない。当然スタミナの消耗が激しくなる。スライスを混ぜてみても一向に効果がない。イジケビッチの持っているすべての技術を総動員したが、結局1時間20分で完膚なきまでに叩きのめされてしまった。これはイジケビッチにとってすごいショックだった。弱冠19歳の若造に一方的にやられるなんて、しかも二日続けてやられるなんて今まで経験したことがない。
 その日はたまたま春学期に学生を五人金沢に連れて行く出発の日で何かとせわしかったので、いつまでも敗戦のことを考えていられなかった。ところが空港で飛行機を待つ間、飛行機の中でワインを飲みながら食事をしている時などにたびたびその試合のことが思い出されて、その度に悔しさがぐっと胸に込み上げてきた。肉体的には19歳の若者に劣っても、それを補う精神力と数多くの試合経験、駆け引きで試合に勝つことができると信じてやって来たが、徹底的に走らされてスタミナがなくなった上、イジケビッチの持っているすべてのショットを試してもそれが通じなかったのだ。すべてを使い果たした上での敗北、ということは、肉体的にも精神的にも作戦的にも完敗だということを認めなくてはいけないという現実の直面していることを意味する。時がたつにつれてその現実がイジケビッチの体内に浸透して行った。やはりもう五十路で若者とは対等に太刀打ち出来ないのだから、せめて三十路、四十路のプレーヤーを破ることでエゴを満足させようという気分になってきた。ここまで至るのに数日かかった。これは何を意味するのだろうか。多分イジケビッチの頑迷さ、頑固さが非情な現実を認めるのを妨げたのだろう。イジケビッチよ、現実を直視せよ!?!?!

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怎Cジケビッチ