シカゴでアジア研究の学会があり、いつものように毎晩遅くまで痛飲してしまった。「痛飲」というのは文字通り飲み過ごして体のどこかが(ほとんどの場合頭か胃だろうが)おかしくなることであるが、まさしくその通りで飛行機の出発の65分前にホテルで目が覚め、顔も洗わずにシャトルで空港に駆けつけ、出発の12分前にやっと席に着けた。
「痛飲」することで後悔したのは数限りないが、飛行機の出発に間に合うかどうかというケースは今までに一度もなかった。高所恐怖症のため乗る1時間前には空港の片隅でウイスキーの力を借りてフライトに備えるが、今回はホテルの"wake-up call"も自分がセットした目覚ましも聞こえないほど飲んでしまったらしい。8時44分のフライトだったので、6時15分に起こしてくれるよう前日に電話でお願いした上、自分の時計の目覚ましも6時15分にセットしたのに全く気付かずに7時39分に目が覚めて、7時45分のシャトルバスに乗った。
ダウンタウンにあるホテルから空港まで高速で直行だったら多分そんなに心配しないでもよかったのであろうが、各信号で止まり(急いでいると多分すべての信号で止まるような気がするのであろう)、近くの他のホテルに寄ってから空港に向かったので、シカゴのダウンタウンを出るまでものすごく時間がかかったように感じられた。市内では遅々として進まないなあと思ったが、高速に入ると日曜の朝ということもあり車の数も少なく75マイルぐらいの速さで進んで行った。空港からホテルまで行った時は電車で1時間近くかかったので、1時間では飛行機に乗れないだろうと半分あきらめ気分だったが、一昨日止まった電車の駅の名前の地域をアッという間に過ぎるのを見ていると、ひょっとすると間に合うかもしれないと思うようになった。そういう気になると、追い越し車線を70マイルぐらいで走っている車が邪魔に感じるのだから面白い。「おい、お前、車線を塞ぐなよ。こっちは急いでいるんだぞ」と言いたい気になる。
運転手も心得たもので、即車線を変えて追い越してくれる。シカゴのオハラ空港に着陸しようとしている飛行機も見えてきた。でも時間は8時15分。まだまだ飛行機の高度が高くて空港までかなりの距離がありそうだ。「大丈夫、間に合うかなあ」「もし間に合わなかったら、次のフライトは何時になるんだろう」「空港の入り口からゲートまで走って10分ぐらいだろうなあ」などと様々な思いが込み上げてくる。と同時に、「乗り遅れたために飛行機事故に会わなくてすんだなんてことはないだろうな」などという思いも頭をもたげて来る。
様々なことを考えているうちに無事空港に到着した。慌てていたと見えて大学に旅費を申請するために必要なレシートをもらうことも忘れて、運転手に料金とチップを払って一目散にゲートへ。シカゴの空港に行ったことがある人だったらご存じだろうが、あそこは滅多やたらと広い!幸い早朝で人があまりいなかったので、全速力で走った。二日酔いで意識が朦朧としているので疲れを感じることもなく一気にゲートへと向かった。息せき切ってゲートに着いたら2人の乗客がゲートから飛行機に乗り込むところで、私は切符をふりふり係員にもう一人乗るという意思表示をして切符を差し出した。時計を見たら出発時刻の3分前だった。
今となっては笑い話として良い思い出だが、あの時は本当に必死だった。目が覚めて、急いで支度をしてチェックアウトをして、シャトルバスに乗り、空港内を走り回ってゲートまで所要時間が62分、我ながらよくやったと思う。その間いろいろなことが頭に浮かび上がって来て、さながら臨死体験をした人が一瞬で自分の一生を回顧するというのはこういうことなのだろうか、と思わずにはいられなかった。
「エッセイ」に戻る
怎Cジケビッチ