「渋沢栄一」

 近代の日本経済史について話をする時必ず登場するのが渋沢栄一である。渋沢は「日本経済の父」とか「商業と道徳を一致させた人物」「日本資本主義の父」とかいろいろな名称で呼ばれているが、彼の91年の生涯は波乱万丈の一生であった。

   渋沢は1840年埼玉県で豪農の家に生まれた。18才で結婚したが、当時の若者と同じように政治に興味を持ち活動的だったので、家にいることは稀だった。初めは、攘夷派で開国するのはナンセンス、と考えていた。24才の時後に江戸幕府最後の将軍になる徳川慶喜の家臣になった。当時慶喜は、日本は開国して積極的に西欧の技術を輸入しない限り日本の近代化は不可能だと考えている開国派の代表であった。攘夷派の渋沢が開国派の慶喜の家臣になったというわけだ。しかし、慶喜に仕えてみると、慶喜の人徳、将来を見る目が素晴らしいことが分かり、慶喜のために命を捧げようと決心した。

   1867年フランスで万国博覧会が開かれ、各国の元首が招待された。日本は政治的に混乱していたので、第15代将軍になっていた慶喜は弟の徳川昭武を派遣した。当時昭武は14才だったので、慶喜は渋沢を同行させたが、このフランス旅行が渋沢のその後の一生を決定づけた。パリにいたのは1年半と短かったが、その間に西欧の進歩した文明、文化を貪欲に吸収した。特に、一般大衆から資金を集めて巨大な事業を行う「株式会社」というものがあること、日本の「士農工商」のような身分制度が存在しないこと、国王でさえ外国人に自国の産物を売り込むこと、などに強い印象を受けた。

   渋沢達が帰国したのは翌年で、既に明治元年になっていた。渋沢のように西欧の事情に明るい人物は稀だったので、早速明治政府から声がかかり1869年から3年半大蔵省の役人として政府のために様々な仕事をした。例えば、今まで物で税金を払っていたのを金で払う制度に変えたり、公債を発行したり、廃藩置県を実現させたり、日本になかった鉄道を敷設したりした。

   もともと自由の身で商業をしたかった渋沢は、大蔵省を辞めた後、日本最初の銀行となった「第一国立銀行」を創設した。英語の「bank」から「銀行」という言葉を考え出したのは渋沢だった。「第一国立銀行」は名前こそ「国立銀行」だが、本当は私立銀行だった。資本金は三百万円で、そのうち百万円を公募した。つまり、株式組織を最初に採用した会社だったのである。渋沢は今で言う「頭取」の地位に就いたが、見方によっては日本で最初のサラリ−マン社長とも言える。

   今では「株式会社」は当たり前だが、日本で初めて本格的に株式会社の形態で会社作りをしたのが渋沢であった。渋沢が第一国立銀行を通して興した企業は、東京ガス、新日本製鉄、キリンビール、帝国ホテルなど500社以上ある。

   実業家として有名な人は数多くいるが、渋沢が偉大なところは、利益を追求するだけではなく、それを奉仕活動を通して社会に還元したことだろう。渋沢は実業家として日本の経済に貢献したが、社会事業家として日本の社会に貢献したことも忘れてはならない。恵まれない子供達、社会から疎外された人々、身寄りのない人達の救済のために様々な福祉施設を次々に作って、生涯で600以上の社会福祉関連施設の設立に参加したと言われている。

   また、渋沢は教育の普及にも熱心であった。商業の一般的知識を普及させ、時代にふさわしい人間としての教養を身につけさせるために1882年に現在の「一橋大学」を設立した。さらに、これからの社会に女性がもっと参加すべきだと考え、日本女子大や東京女学院の設立に奔走した。

   さらに驚くべきことは、還暦を過ぎてから4回もアメリカに来ていることだ。1902年夫人と共に欧米視察の旅に出て、当時のルーズベルト大統領と会見したり、69才の時にアメリカ商工会議所の招きで訪米して53の都市で講演をしたり、75才で日米親善のために訪問したりした。さらに、1921年には81才の高齢であったが、日米関係が悪化していた時で平和外交を推進するために渡米した。国内においては、訪日した外国人を暖かく迎えて接待して、国際交流の日本側の窓口となって活躍した。現在国際交流ということが盛んに話題になるが、渋沢は国際交流のパイオニアの一人と言っても言い過ぎではないだろう。

次の質問に答えなさい。
1 渋沢栄一が攘夷派から開国派に変身したのはどうしてですか。

2 渋沢がフランスへ行ったのはどうしてですか。

3 渋沢がフランスへ行ったのは何才の時ですか。

4 渋沢はフランスに住んで、どんなことに感心しましたか。

5 渋沢がフランスから帰国したのは何年ですか。

6 渋沢は大蔵省で仕事をした時どんなことをしましたか。

7 「それ」(28行目)は何ですか。

8 一橋大学の設立目的はなんですか。

9 最後にアメリカに行ったのは何才の時ですか。

参考文献:
「渋沢栄一」 童門冬二 学陽書房 1998
「渋沢栄一:人間、足るを知れ」 永川幸樹 KKベストセラーズ 1999
「埼玉の先人 渋沢栄一」 韮塚一三郎/金子吉衛 さきたま出版会 1983
「雄気堂々」 城山三郎 新潮文庫 1976
「渋沢家三代」 佐野真一 文芸春秋 1999

怎Cジケビッチ
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