「夏目漱石」

 明治時代に活躍した最も有名な作家は誰かと言われたら、大多数の日本人は夏目漱石と森鴎外と言うだろう。特に、夏目漱石は、千円札に登場しているほど日本人によく知られた人物である。

   漱石は1867年東京で生まれた。父50才、母42才と両親が比較的高齢の時に生まれた子供で、生後間もなく里子に出され、1才の時に養子にやられたが、養父母が離婚したため8才の時に夏目家に戻った。しかし、14才の誕生日を迎える前に実の母親が死亡して、漱石はあまり幸福ではない少年時代を過ごした。

   複雑な家族関係の中で育った漱石だったが、成績は非常に優秀であった。1890年に第一高等学校(一高)を卒業して、東京帝国大学(現在の東京大学)の英文科に入学した。大学で英語を通して英文学を学ぼうとしたが、文学とは何かは教えられず、教えられたのは英語という語学だった。勤勉に勉強したので英語が上手になり「方丈記」を英訳したほどだ。3年後大学を卒業、大学院へ入り、東京高等師範学校で英語教師として英語を教えた。非常に真面目な性格で膨大な時間をかけて授業の準備をした。ところが、兄達の命を奪った結核にかかったり、禅寺で修行をしても心の平安が得られなかったりしたために精神的に不安定になり神経衰弱になってしまった。この病気はその後一生漱石に付きまとう。

   1895年四国松山の中学校の教員として赴任、さらに翌年には九州熊本の熊本第五高等学校の講師として赴任して英語を教えた。熊本の講師になってまもなく結婚、長女の誕生もこの時期だった。1900年に文部省から2年間英語研究のためイギリスへ行けとの命令を受けた。このイギリス留学が漱石のその後の人生に大きな影響を与えた。当時のロンドンは物価が高く、せっかくイギリスに来たのだからできるだけ多くの本を買って帰りたいと思って多くの書籍を購入した。そのため生活は苦しかった。東大で文学とは何かを教えられなかった漱石は、イギリスで独自の文学論を確立するために読書に励んだ。

   1903年に帰国、東大と一高で講師として英語を教えることを再開した。責任感が人一倍強い漱石は、講義の準備に終われ、門下生(弟子)の一人に「大学の講師を3年していれば、真面目な人ならきっと神経衰弱になる」と言ったほど神経を使った。帰国後の2年間が漱石の一生で最低の時期だったと言われている。

   1905年ホトトギスという雑誌に、家に迷い込んで来た猫を題材にした「我輩は猫である」という小説を発表したところ、当時としてはベストセラーになった。当時日本の文学界は、自己及び周囲の生活をありのままに描き出す自然主義が主流だった。ところが、この小説は猫の目を通して人間世界を客観的に見つめパロディ化したもので、自然主義とは全く異なっていた。表面は面白おかしく描かれているが、その背後には漱石の憂鬱な厭世感が横たわっている。次いで、翌年同じホトトギスに松山時代の生活を基にして中学校教員の生活を描いた「坊ちゃん」を発表したが、これも爆発的な売れ行きとなった。この小説の中に不正に対する漱石の激しい怒りを見ることができる。

   1907年には英語教師を辞めて、一年に一つ小説を書くという条件で朝日新聞社に入社した。当然この漱石の突然の変身に対して世間では賛否両論があったが、漱石は一切耳を貸さなかった。その後興味を人間内面の心理に向け、文学的に価値が高い作品、例えば、「三四郎」、「それから」、「門」、「心」などを次々に生み出して行った。

   漱石の一生は病気との戦い、共存と言ってもいい。若い頃からの神経衰弱は生涯彼を離れなかった。病が高じた時妻や子供達はひたすら病が治まるのを待った。妻との性格的不一致も結婚当時からあり、結婚生活を維持するのが困難になった時期もあったが、医者から神経衰弱は一生の病気だと言われ、漱石が仕事ができるように自分を犠牲にしようと決心した妻の献身的な態度のおかげで維持することができた。結核にかかったり、胃潰瘍になって死に損なったり、痔の手術を受けたり、糖尿病で苦しんだりして、一生医者の世話になった。これは大いに漱石の責任感の強さと関係ある。学校で内容のある講義をしよう、小説を締切までに間に合わせようと気を使ったことが病気の原因だった。

   漱石は真面目できさくな人柄で、門下生や文学仲間から大いに慕われた。訪ねて来る人があまりにも多く、仕事がはかどらないので、毎週木曜日の午後3時を面会の時間に指定するほどだった。この集まりを「木曜会」と言い、この木曜会から寺田寅彦、鈴木三重吉、和辻哲郎、芥川龍之介、久米正雄などその後活躍した文学者や学者が数多く育って行った。

   漱石は日本の近代文学に大きく貢献し、彼の作品は今でも多くの日本人に読まれ愛され続けている。

次の質問に答えなさい。
1 夏目漱石は幸せな少年時代を過ごしましたか。

2 漱石が東大を卒業したのは何年ですか。

3 漱石が神経衰弱にかかったのはどうしてですか。

4 ロンドンでの生活について簡単に説明しなさい。

5 漱石はどんな条件で朝日新聞社に入社しましたか。

6 「我輩は猫である」はどんな小説ですか。

7 漱石が「我輩は猫である」を発表したころ日本の文学界はどんな考え方が主流でしたか。

8 漱石の結婚生活が続いたのは漱石が努力したからですか。

9 木曜会について簡単に説明しなさい。

参考文献:
「夏目漱石」 武蔵野次郎 成美堂 1995
「漱石先生がやって来た」 半藤一利 学陽書房 2000
「夏目漱石」 西本鶏介 講談社 1982
「夏目漱石」 伊豆利彦 新日本出版社 1990
「父・夏目漱石」 夏目伸六 文芸春秋 1991 
「夏目漱石ゴシップ」 長尾剛 文芸春秋 1997
「夏目漱石」 坂本浩 学燈社 1963
「夏目漱石ー「坊ちゃんをかいた人」」 桜井信夫 岩崎書店 1997
「夏目漱石」 坂本浩 学燈社 1963

怎Cジケビッチ
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