自分のかん違いでガン騒動を起こしてしまったジェーンは、この頃ちょっと元気がありません。日本語が難しいと感じるようになったせいもある、と自分で思っています。この前も、御用聞きにきた人がホストファミリーのお母さんと話をしていて「私は一介の酒屋ですから」と言うのを聞き、「二階は何屋さんですか」と質問して笑われてしまいました。
「ジェーンが悪いんじゃないのよ。日本語が難しいのよね。同じ音で違う意味の言葉が多すぎるのよね」とお母さんがなぐさめてくれましたがジェーンは元気が出ません。
そんなある日、一人で留守番していると電話がなり、受話器を取るとあのガン騒ぎのおばさんでした。
「一人だったら退屈でしょ。あられをあげるからいらっしゃいよ」と言われました。
ジェーンは「あられ」という日本語を知らなかったので、電話を切ってから辞書をみたら hail とだけ出ていました。変な物をくれると思いましたが、自分にいらない物なら後でひとにあげてもいいし、だいたい捨てるのも簡単だ、と思いました。そこで思いついてお父さんが魚釣りの時に持っていくクールボックスに氷を入れて出かけて行くことにしました。
「いいアイデアだ」と自分で思いました。
玄関のベルを押すとすぐにドアが開きました。おばさんは、
「今からあげるからあがりなさい」
と言いました。でも手には何も持っていませんでしたし、何もくれる様子はありませんでした。
ジェーンは「あげるからあがりなさい」という意味を考えました。
「そういえば、この前の日本語文法の時間に、自動詞と他動詞の区別を習った」と思い出しました。でも「『あげる』は自動詞だったかしら、他動詞だったかしら」などと考えているうちに目の前にスリッパが出されたので、意味がわからないまま家に入りました。本当は hail をもらってすぐに帰りたかったのですが。キッチンに入ると、テーブルの上に乾燥した餅が小さく切られて山になっていま
した。おばさんはそれを少しづつ高温の油が入った鍋の中にそっと入れます。しばらくして取り出すと小さなかりかりした煎餅のような物ができるのです。
「さあ、できたわよ。熱いうちに食べるのもおいしいのよ」、とおばさん。
「あなたもおあがりなさいよ」と言うとさっさと自分がおいしそうに食べ始めました。
ジェーンは、ああこれが「あられ」か、と気がつきました。
「また同じ言葉で違う意味なんだ」と思いました。そしてこの時の「あげる」という意味も別の意味なんだ、とわかってきました。
「『あげる』にもいろんな意味があるんだなあ」と思いました。
それからしばらくおばさんを手伝って一緒にあられをあげました。
「ねぇ、ジェーン。あんた、この頃元気がないんじゃない?」とあられをあげながらおばさんが言います。
「ホームシックじゃないの?がんばってちょうだいね」とやさしく言ってくれます。それを聞いてジェーンも、がんばらなくては、と思いました。できあがったあられをたくさんもらい、クールボックスに入れましたが、その時おばさんは少しけげんそうな表情で見ていました。それに氷は「必要ないから」と流しに捨てられてしまいました。ジェーンは自分のかん違いがおばさんに気付かれなければいい、と思っていました。
帰る時に玄関で、おばさんは、
「お正月になったらまた来なさい。甥(おい)が来るから一緒にタコをあげたらいいわ」と言いました。
「えっ、タコをあげるのですか」
ジェーンは、この前魚屋の店先でみたピンクでバナナの房のような形をして吸盤がたくさんついたグロテスクな形のものを思い浮かべました。
「ええ、すぐそこの公園でね。こんな大きなのをあげる、って言っていたわよ」と言って両腕を広げました。
ジェーンは驚きました。そんなに大きいタコを、あげる???。にえたぎった油の中に、まるごと???。だからここのキッチンでは狭く、公園で大きな鍋を使ってあげるのだ、と思いました。もちろんあげた後は皆で食べるのでしょう。ジェーンは、お正月には家にいないようにしよう、と思いました。
その晩、夕食が済んだ後、食卓にあられを出しました。
「まあ、このおかき、どうしたの?」とお母さん。
「いいえ、これは『あられ』です」とジェーンは自信を持って言いました。
「おかき、とも言うのよ。どうしたの?」とおかあさん。
「私があげました」とジェーンはまた自信をもって言いました。
「ちがう、ちがう、ジェーン。それを言うならね」とお母さん。
「『もらいました』って言いなさい」
ジェーンは心の中で何かが崩れていくような気持ちがしていました。
(終)
怎Cジケビッチ