日本の経済が順調に伸びていた数年前まで日本のサラリーマンは日夜会社のために仕事に明け暮れ、家庭のことを全く顧みなかった。仕事一途に励み、ほとんど家にいないために子供が父親の顔を忘れてしまった、などという冗談のような話まである。1990年ごろ「帰宅拒否症候群」という言葉が世間で使われた。これは、会社人間が家に帰りたくなくなる現象を言う。夜遅くまで残業や接待をし家に帰るのが11時、12時、早朝出勤のため朝6時半、7時には家を出なければならないので、最寄りのビジネスホテルにでも泊まった方が時間の節約にもなるし、ストレス解消にもなる。また、わずか6、7時間の在宅時間中に子供の教育や家事について妻と話をするが、疲れていてそれが苦痛になり、家にいることがストレスになってしまう。そのため、家に帰りたくないと考えるのだ。ひどい場合には、帰宅しようとすると頭痛がしたり、吐き気を催したり病気の症状が出てくる。
同じころ、「亭主元気で留守がいい」という言葉がテレビのコマーシャルではやった。夫に元気でいてもらって仕事をしてたくさん金を稼いでほしいが、家にいると世話が大変だから家にいない方がいい、という意味である。妻の偽らざる気持ちを代弁しているので流行語になったのであろう。しかし、随分夫を馬鹿にした言葉ではないだろうか。
夫が家に帰りたくないと思うこと、妻が夫にできるだけ家にいてもらいたくないと思うこと、からこのような言葉が流行したのであろうが、これは日本人の仕事中心主義、家庭を軽視する傾向と密接に関係がある。第二次大戦後所得倍増計画などを通して日本の経済を立て直すことが最も重要と考えられ、昭和30、40年代の高度成長期には、夫が仕事に没頭し家庭を顧みない、妻が家事全般を担当するのが当然になり、それが数年前まで続いた。夫にとって家庭は疲れた肉体を休めるための「休息の場」でしかなかった。家族と一緒にいられる時間を増やし、大切にするなどということはほとんど考えられなかった。また、妻にとって夫が不在なのが当り前になり、夫の留守の間家庭を守るのが自分の役目だと思うようになった。アメリカ人の基準から言えば、父親/夫のいない家庭などナンセンスで即離婚の対象になるであろうが、日本では父親/夫が家にいないことが当然であるかのように考えられた。
ところが、1980年代後半バブル経済が崩壊し不況の時代に入ると、各企業は経費節約のために残業の廃止、交際費の削減などを次々に打ち出した。そのため、夜遅く帰宅したり、休日出勤や接待ゴルフで週末も家にいなかったりしたサラリーマンがするべき仕事の量が減ったため必然的に帰宅時間が早くなり、週末も家にいて家族と過ごす時間が多くなって来た。父親/夫が本来いるべき家庭に戻って来たわけだ。それは、子供と一緒に遊んだり、妻と一緒になって子供の教育のことを考えたり、読書、スポーツなど自分の趣味を楽しんだりすることができることを意味する。これは歓迎すべきことであり、若い世代の人達は家族が一緒に過ごせる時間が増えたことを喜び、家族単位でいろいろな活動を楽しみ始めるようになった。
しかし、四十代、五十代の世代になると事情が異なる。特に、妻の立場から見ると、夫の在宅時間が増えたことが苦痛になることがある。今までは仕事のために家にいることがほとんどなかったので、夫の世話は家にいる短い時間の間だけしてあげればよかったが、それが突然大幅に増えた。従って、今までの家事、子供の教育に加えて、新たに夫の面倒まで見なくてはいけなくなったわけだ。夫に家にいられると邪魔で仕方がない、夫に家でゴロゴロされると生活のリズムが狂ってしまう、夫は家事が全くできないので手伝ってもらえない、自分では何も家事を手伝わないのにいろいろ文句を言う、などの理由で、ここ2、3年夫が家にいると妻がストレスがたまって病気になるという現象が起こり、それを「主人在宅拒否症候群」という。このような現象が起きるのは夫と妻の両方に責任があると考えられる。
責任の多くの部分は夫の側にある。先ず、一般的に夫には家事は妻がするものという固定観念があり、長年家庭を顧みなかった。仕事が忙しいことをいいことに家事、子育て/子供の教育ばかりではなく家の中のことは一切妻にやらせてきた。そのため、在宅時間が増えても家の中でできることが限られる。料理は当然妻がするものと考えてきたから、自分で作れない。洗濯などしたことがないから、全自動の洗濯機を使えば簡単に洗濯ができることも知らない。掃除機で部屋の中を掃除しようにも、掃除機の先端が畳用とカーペット用に分かれていることも分からずオロオロする。
また、今までは家にいることがほとんどなかったので、子供達とゆっくり話をしたことがない。子供がどんなことに興味を持っていて、今学校でどんなことをしているのか皆目分からない。それに、今まで子供と面と向かって話をする機会がなかったので、どのように会話を進めていいか分からない。妻との場合も同様である。深夜帰宅後短い時間にどうしても必要なことだけ話をする習慣がすっかり身に付いてしまったので、時間をかけてじっくり一つのことを妻と相談するということに慣れていない。子供や妻とどうコミュニケーションをすればいいか分からず頭を悩ませる。
しかも、仕事中心の生活を長年続けてきたため、仕事が行きがいになってしまって自分の趣味などを追い求めることもなかった。在宅時間が増えて家で何かしようと思っても、何をしていいか分からない。家事もできない、子供や妻とどう会話をしていいか分からない、自分のしたいことも仕事以外にはない、となると、家の中で一体何ができるだろうか。テレビの前でゴロゴロするか、妻がしていることに文句を言うぐらいしかない。
そんな夫が始終家にいたら、妻はどうなるであろうか。家事、子育て/子供の教育に加えて新たに夫の世話が加わることになるし、夫に家事を手伝ってもらうことにしたら家事のやり方を一から教えなくてはいけない。精神的にも肉体的にも負担が増えるだろう。しかし、これは今まで家事を全部やってきた妻にも責任がある。どうせ夫は家事ができないだろうからやってもらわない、やってもらっても時間ばかりかかるから自分でやる、子供の教育のことを話しても分からないだろうから話さない、というような態度を取っていないだろうか。確かに、夫は仕事で忙しく疲れて家に帰って来るだろう。できたら休みの時はゆっくりさせてやりたい、と思うのは当然かもしれない。が、これは夫は外で家族を養うために働き、妻は家庭内のことを取り仕切るという古い家族観に囚われているからであり、父親と母親が協力して家を運営するという本来あるべき家族観から考えると、夫の教育をないがしろにして夫を甘やかしてきたことを意味する。夫は仕事で疲れて家に帰って来るが、だからと言ってそれが家事を全くしなくてもいいということにはならない。勿論疲れた体は休めてもらうが、同時に家族が共同生活を送る上で家事はお互いになすべき最低条件であることを理解してもらい、少々時間がかかっても根気良く家事のやり方を説明し、夫の負担にならない程度に家事をやってもらって気分転換をしてもらう、という発想を持つ必要があるのではなかろうか。本来は新婚当初からこのような態度で接すべきで、何十年も結婚生活を送った夫婦の場合困難かもしれない。しかし、そこは夫の操縦法次第である。誰でも褒められて悪い気はしないから、夫をうまくおだててどんどん家事をやってもらい、上手に褒めて積極的に家事をするように仕向ける、というような態度が妻の方に必要である。
この問題は自分は何のために生きているのだろうかという問題、つまり「生きがい」とも密接に関連している。仕事が生きがいだという夫は、将来定年になった時に生きがいを失うであろう。家事、子供の教育/子育てに忙殺された妻は、中年になり子供が独立した時に一体自分の人生は何だったんだろうかと悩むであろう。仕事もバリバリし、充実した家庭生活を送り、自分の趣味も追求できるような人生が送れるようにするにはどうすればいいか、若いうちから考えることが重要であると思われる。
結局未だに夫と妻両方の心に存在する「家族を養うために働くのは夫、内助の功に徹するのが妻」、「男は甲斐性、女は愛矯」という固定観念を打ち破り、仕事中心の生活観を変えない限り、以上に述べたような問題は将来もなかなか解決されないのではなかろうか。
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