「徳川慶喜」

 徳川幕府は260年以上続き、15人の将軍がいた。その中で最後の将軍であった徳川慶喜ほど浮き沈みの激しい生涯を送った人物はいないだろう。慶喜は1837年水戸徳川家徳川斉昭の七人目の男の子として江戸で生まれた。斉昭は攘夷派の巨頭で、天皇を政治の中心に置く尊王派の思想を復活させた張本人であった。小さい頃から慶喜は父親の斉昭から、徳川家と朝廷の間でいざこざが起きたら朝廷のために奔走しなくてはならない、と教育された。大名の子供は江戸で育てられるのが普通であったが、慶喜が生まれた家は幕府の中で副将軍扱いで特別で、慶喜はお城がある水戸でスパルタ教育を受けた。慶喜は11才の時に将軍に世嗣ぎがいない時に将軍になる男子を送り出せる一橋家を継いだ。これが将来慶喜を将軍の座に就かせることになる。

   1853年のペリ−来航で江戸幕府は開国せざるを得ない羽目に陥り、日本の政治は混乱期に突入した。当時江戸幕府は鎖国を続けたかったが、欧米諸国がインド、中国を植民地化したことを知っており、開国しないと日本もインドや中国のようになる恐れがあったので、圧力に屈して開国した。ところが、京都の朝廷側は攘夷派の志士達の強い影響を受けていて、外国人を受け入れ、貿易をするのはナンセンス、という考えが圧倒的で、幕府と朝廷はことある毎に対立していた。

   1862年慶喜は将軍後見職という役に任じられて将軍を補佐し、欧米諸国や朝廷との複雑な交渉に奔走した。また、参勤交代制度や大名の妻や子供が江戸に住まなければならないという制度を廃止したり、幕府の陸海軍の兵力の増強に力を入れたりして幕制改革を進めようとした。しかし、すでにその頃までに幕府は衰退していて再興するのは無理な状態であった。慶喜は幕臣達からは江戸幕府の最後の切り札と見られていたが、幕府の中にも強い反対勢力があり、攘夷派の志士達からは攘夷を阻む大悪人と見なされていて、四面楚歌の状態にあった。

   慶喜は過去2回将軍になる機会があったが、幕府内の反対勢力のために実現しなかった。ところが、1866年14代将軍が死去すると、崩壊寸前の幕府を立て直すことができるのは慶喜意外に見当たらず、慶喜は第15代の将軍に任命された。しかし、時既に遅しで、尊王倒幕派が大勢を占めていて、幕府を倒して新しい日本を作る以外に道はないところまで行っていた。1867年10月14日に坂本竜馬が考え出した「船中八策」を基にした大政奉還の建白書を土佐藩が幕府に提出した時、政権を朝廷に返還する以外に徳川家を存続させる方法はないと考えた慶喜は、大政奉還をすることを大名達に伝えて、正式に朝廷に願い出た。これによって260数年続いた徳川幕府は終止符を打たれた。

   大政奉還はなったが、朝廷側にすぐ政権を担当できる能力はなく、天皇もまだ数え年わずか16才だったので、慶喜は朝廷に従来通り職務を執るように命令された。ところが慶喜が朝廷に大政奉還を願い出たその日に、朝廷から薩摩藩と長州藩に倒幕の密勅が出された。それは、朝廷から力で幕府を倒してもいいという御墨付きをもらうことを意味していて、倒幕派の志士達は勇み立った。そのうち12月9日に王政復古の大号令が出され、薩摩や長州の倒幕派の志士達に牛耳られた朝廷は慶喜に内大臣を辞め、領地を朝廷に返還することを求めた。これは一種のクーデターであって、徳川家を完全に抹殺する意図があった。

   幕臣達が怒り狂ったのは当然で、京都近辺にいた徳川家の家臣は今にも京都御所に押し寄せるかのようであった。江戸の町で狼藉を働き幕府に反旗の狼煙を上げさせようとした倒幕派の試みは成功して、幕府軍が鳥羽、伏見で官軍に発砲、幕府軍は朝敵の汚名を着せられ大敗戦を喫した。これで全面戦争へ突入するばかりとなった。二条城や大阪城にいた幕臣は約15000人、倒幕派はわずか5000人であったと言われており、幕府が武力で政権を奪い取ることも可能であった。しかし、慶喜は京都の二条城から大阪城へ、さらに江戸へ戻り、恭順、謹慎の意を表明した。その後、水戸、静岡、東京と転々としたが、生涯政治には一切関わらなかった。

   結局慶喜が大政奉還をして、真摯に朝廷の命令に従う態度を示したことが、江戸が焦土と化すのを防いだ。 それが、ひいては日本が真っ二つに別れて国内で全面戦争を始め、欧米諸国が介入して日本を植民地化することをも防いだ。その意味で徳川慶喜の行動は江戸末期の混迷期から明治維新へ日本を軟着陸させたと言えるのではないだろうか。

次の質問に答えなさい。
1 徳川慶喜の父親はどんな人でしたか。

2 「これ(7行目)」は何ですか。

3 ペリーが日本に来た時日本が開国しなければならなかったのはどうしてですか。

4 慶喜は幕府の制度を改革するためにどんなことをしましたか。

5 慶喜は将軍後見職としてしたいことが自由に出来ましたか。

6 大政奉還と同じ日に出されたのは何ですか。

7 慶喜は大政奉還後政治的に活躍しましたか。

8 慶喜の行動が江戸末期の混迷期から明治維新へ日本を軟着陸させたと言えるのはどうしてですか。

参考文献:
「徳川慶喜のすべて」 小西四郎 新人物往来社 1997
「徳川慶喜」歴史群像シリーズ53 学習研究社 1997
「徳川慶喜」 堺屋太一 プレジデント社 1998
「徳川慶喜」 永岡慶之助 実業之日本社 1998
「徳川慶喜」 水野泰治 成美堂出版 1997
「徳川慶喜」 三好徹 学陽書房 1997
「徳川慶喜の謎」 郡順史 ごま書房 1997
「最後の将軍徳川慶喜」 田中惣五郎 中央公論社 1997
「孤高の月将徳川慶喜」 岳真也 学研M文庫 2001

怎Cジケビッチ
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