日本語教育裏話


「私も呼んでくれないかしら?」

ミシガン大学ジョンソン先生の巻

 1991年11月7日から10日までThe Consortium for Language Teaching and Learningという機関が主催した"Intermediate and Advanced Japanese Language Instruction"という学会がプリンストン大学で開かれました。コンソーシアムは受け身と使役のビデオを作る時助成金を出してくれた関係からか私も招待され参加しました。飛行機代から食費、ホテル代まですべてカバーしてくれるというすばらしいもてなしでした。発表者も豪華でいろいろな発表があったばかりでなく、発表の後にPracticumというディスカッションをするような場があり、それはそれは精神的に疲れる学会でした。しかし、食事もとてもおいしく、おまけにワインまでついている手際の良さでした。ホテルもナッソー・インというプリンストンで一番贅沢なホテルでした。ビデオからの印税が売り上げの10パーセントコンソーシアムに毎年入っているからだと思いますが、私にはとても広いスイートの部屋があてがわれました。ハーバード時代の同僚やプリンストンの先生方にお会いでき、夜どなたが言い出したのか私の部屋で飲み会をすることになり(多分私が言い出したのでしょう、、、)、バーボンやワインを夜の町に買いに行ったのを覚えています。プリンストンは物価が高いと聞いていたけど、どうしてこんなに酒が高いんだろう、と思ったのを覚えています。三々五々人が集まり、アルコールの消費量が増えると共に声も一段と大きくなったことでしょう。
 こちとらは旧交を暖めて昔話に花を咲かせているので、どんなにやかましいか一向に分かりません。また、だんだん酔いが回り始めて、どんなに大声になっても周りが迷惑していることなど全然気付かなかったことでしょう。それはもう楽しい飲み会でした。
 ここまで読んでいつジョンソン先生が登場するのかと、いぶかっていらっしゃる方も多いことでしょう。そうです、そろそろ出番なんです。実は、飲み会が情報交換、旧交を暖めるため、新しい人間関係を築くためにいいと思ったイジケビッチが学会に行く度に飲み会をするようになったのはこのころからなんです。学会に行ってもあまり日本語教育には貢献できないなと感じましたが、学会にいらした方とお酒を飲みながらワイワイ騒いで楽しい時間を過ごす場を作ることは出来るなと思い、知り合いに声をかけるようになりました。それ以来時間的に余裕のある方が飲み会に集まるようになりいつしか学会の度に飲み会を催すようになりました。
 「一体いつになったらジョンソン先生が出て来るんだよ?」という声が聞こえそうな気がします。ジョンソン先生、そろそろ出番ですよ。お化粧の方は大丈夫ですか?ナッソー・インで私達(私の部屋に飲みにいらした方々)が楽しい時間を過ごしていた時、何のことはない、ジョンソン先生は私の部屋の隣で悶々としていらしたのです。「もうやかましい人達ねえ。一体何をやっているのかしら。でも、よく聞いてみれば日本語だわねえ。誰の部屋なのかしら。こんなにうるさくしてお上りさんもいいところねえ。日本からの観光客かなあ。いいかげんにしてよ」などと考えられていたことでしょう。そのころはジョンソン先生と個人的に知り合いでなかったので、飲み会に招待しませんでした。ジョンソン先生が私の部屋のお隣だったということが分かったのは、その後1年ぐらいしてどこかでまたまたやった飲み会の席でした。「あの時私は隣の部屋だったのよ。一言声をかけて下さっても良かったんじゃない?あんなに楽しそうにやって私を呼んでくれないなんて、、、」と言われ、知らなかったとはいえ本当に失礼なことをしたなと深く反省しました。
  それ以来ジョンソン先生と御一緒の学会ではいつも来て頂いています。また、1994年夏に日本に帰った時にはたまたまICUで御一緒して(先生はサマースクールで教えて、私はICUでハウスシッターをしながらコンピューター教材を開発した年)、ハウスシッターをしているうちに来て頂いて一緒に食事をしたり、アルクの西岡さんと飲みに行ってカラオケバーで歌いまくったり親しくおつきあいさせて頂いています。(一度もカラオケに行ったことはないとのことでしたが、歌っていらした時の感じでは、かなり歌い込んでいるなという感じでした。) 1997年3月シカゴで開かれたAAS/ATJの飲み会(じゃなくて、学会の後の夜の飲み会)にも来て頂きました。ここに出ている写真はすべてシカゴで撮らせて頂いた写真です。ジョンソン先生、ミシガン大学という新しい職場でいろいろ大変でしょうが、これからも頑張って下さい。


MITの宮川先生と

他の先生方と

怎Cジケビッチ
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